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鳴き砂は知っていた|文=北阪昌人

音をテーマに、歴史的、運命的な一瞬を切り取る短編小説。第11回では、印刷会社で新たなプロジェクトを任され、重圧で打ちのめされそうになっていた女性が、小学生の頃心細かった自分を慰めてくれた場所、京都の琴引浜ことひきはまを訪れます。音を奏でる鳴き砂で知られるこの場所で、彼女が確信したこととは。(ひととき2022年7月号「あの日の音」より)

 潮の香りをほのかに感じる風が、私の髪を揺らした。懐かしい海岸線が見える。ここにやってくるのは、20年ぶりだ。

 パンプスを脱ぐ。裸足になる。砂浜に足を踏み入れる。私は祈るように、すがるように、この海岸に来た。

 どうしても、成功させなくてはいけないプロジェクト。私はそのリーダーとしての重責に押しつぶされそうだった。

 父の仕事の都合で、小学3年生の時、京都府の北部にある京丹後市に引っ越した。

 もともと引っ込み思案で、人見知り。クラスメートたちも大人しく無口な転校生にどう接していいか、困っていたに違いない。私は、放課後、よくひとりで琴引浜ことひきはまに行った。

 琴引浜は、鳴き砂で有名だ。砂を踏みしめると、「クックックッ」と鳴く。摩擦係数が大きい石英せきえいという鉱物が多く含まれ、さらにゴミや不純物が少ないという条件も加わり、音をかなでる。240年以上前の文献にも、砂の中に琴の音があるという記述があるらしい。

 小学生の私は、砂が私の代わりに泣いてくれているようで、うれしかった。なじみのない景色に囲まれていたが、この砂だけは、私の気持ちに寄り添ってくれる、そんな気がした。

 テストの点数が悪かったとき、運動会で転んだとき、気がつくとこの海岸に来ていた。晴れていれば、より一層高い声で鳴いてくれる。雨のときは、鳴いてくれない。砂と対話しながら私は、ここで自分の心を整えていた。

 東京で就職して以来、ここに来ることはなくなった。ただ、泣きたいときは、思い出した。あの砂を裸足で踏みしめたいと……。

 プロジェクト・リーダーに任命されるのは、自分が望んだことだった。私は印刷会社の企画推進部に所属しているが、業態変革の波を受け、新しいビジネスを模索する社内公募があり、私が出した企画が採用された。どうしても成功させたい。気持ちばかりが先走り、会議でもチームを思うようにまとめられずにいた。

 金曜日の京都出張を終え、週末、ここまで足をのばした。海岸には、多くの家族連れがいた。子どもの笑い声が青い空に吸い込まれていく。

 私は、裸足で鳴き砂を踏みしめる。一歩、一歩。最初は恐る恐る。やがて、しっかり足を下ろすと……「クックックッ」、砂が、鳴いた。

 懐かしい響き。懐かしい砂の感触。

 でも砂は、泣いていなかった。「クックックッ」。心が浮き立つような、幸せな調べに聴こえた。砂は、私を祝福してくれた――。

 そうだよね、鳴き砂さん。あなたは私を知っている。私は、私のまま、前に進めばいいんだね。失敗してもいい。自分が信じたとおりに一歩ずつ、歩けばいいんだよね。

 波間に陽の光がキラキラと舞っている。水しぶきが跳ねて、小さな虹をつくった。私は、ゆっくり海に近づく。

「クックックッ」

 私の代わりに泣いてくれた鳴き砂が、今は私の代わりに、笑ってくれた。

文・絵=北阪昌人

北阪昌人(きたさか まさと)
1963年、大阪府生まれ。脚本家・作家。「NISSAN あ、安部礼司」(TOKYO FMほか38局ネット)などラジオドラマの脚本多数。著書に『世界にひとつだけの本』(PHP研究所)など。

※この話はフィクションです。次回は2022年9月頃に掲載の予定です

出典:ひととき2022年7月号

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