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霧しぐれ富士を見ぬ日ぞ面白き|芭蕉の風景

「NHK俳句」でもおなじみの俳人・小澤實さんが、松尾芭蕉が句を詠んだ地を実際に訪れ、あるときは当時と変わらぬ大自然の中、またあるときは面影もまったくない雑踏の中、俳人と旅と俳句の関係を深くつきつめて考え続けた雑誌連載がまもなく書籍化されます。ここでは、本書芭蕉の風景(上・下)』(2021年10月19日発売、ウェッジ刊 ※予約受付中)より抜粋してお届けします。

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霧しぐれ富士を見ぬ日ぞ面白き 芭蕉

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厚い雲の中の富士

 貞享元(1684)年秋、芭蕉は江戸深川の庵を発ち、東海道を西に進み、故郷伊賀へと向かう。芭蕉四十一歳。『野ざらし紀行』の旅であった。

 掲出句は『野ざらし紀行』所載。「関こゆる日は、雨ふりて、山皆雲にかくれたり」(箱根の関を越える日は、雨が降って、富士山をはじめ山はみな雲の中に隠れてしまった)という一文に続いて掲載されている。「霧しぐれ」は霧と時雨の中間的な現象、時雨が降っているとまでに感じられる濃厚な霧である。句意は「濃い霧のために眼前に見えるはずの富士山を見ない日となった。それもまた、面白い」。

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 東海道新幹線三島駅で降りる。残暑厳しい日の午後である。ホームから眺めると、駅の北に壮大な富士山がそびえているはずだが、今日は雲の中である。その風景もまた、掲出句にふさわしい。南口に出て、東海バスに乗車、箱根を目指す。出発前、バスの運転手さんに「富士山が見えないですね」と話しかけると、「暑い時期は、駿河湾から蒸気が上がって雲をつくるので、富士山は見えないことが多いです。よく見えるのは、やはり寒い時期です。そのころまたいらしてください」と明るく答えてくれた。

 三十分ほど乗って、「山中城跡」という停留所で降りる。山中城は、北条氏の城である。小田原の役の際、豊臣の大軍のために半日で落城した悲劇の城だ。標高はかなり高い。下界の三島に比べると、暑さも和らいで過ごしやすい。

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山中城跡

 そこから一キロほど三島方向に徒歩で戻ると、富士見平に着く。ドライブインの店頭に掲出句の句碑が建っている。巨大な長方形縦型の句碑で、気をつけていれば、バスから降りなくても見つけられるかもしれない。昭和五十三(1978)年、当時の三島市長によって建てられた。この地が選ばれたのは、「富士見平」という地名からの縁だろう。

 富士の姿を見たいと思いつつ一日、箱根を歩いてきた芭蕉が、三島側に降りてきたとき、富士見平という地名に反応して、掲出句を発想した可能性は考えられる。ただ、芭蕉のころから富士見平という地名が使われていたかどうかはわからない。三島市の観光パンフレットには、句碑のかなたに雄大な富士が映っている写真が掲載されていたが、富士山の方面は依然として雲が厚い。句碑の裏を東海道の古道が通っている。石が敷き詰められ、江戸時代の石畳が復元されていた。芭蕉はこの道を下ってきたのだ。

すべてのものに美を見いだす

 掲出句を読むことは、「なぜ富士が見えないことが面白いのか」を考えることである。

『野ざらし紀行』には、掲出句の後に「富士」を詠んだ句が掲載されている。この旅に同行した門弟千里ちりの句、「深川や芭蕉を富士に預行あずけゆく」である。深川の芭蕉庵でつくられた句だ。句意は「深川の庵、庭に植えた芭蕉を、はるかに見える富士山に託して、旅に出ることである」。

 この句によって、芭蕉の江戸での日常がはるかな富士とともにあったことがわかる。芭蕉は富士のかなたに、故郷の伊賀を、そして、上方を思い描いていた。旅に出てからも、富士の大きさが、東海道の旅の進み具合を示してくれた。

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『野ざらし紀行』において、千里の句と芭蕉の句と二つの富士が対比されている。千里の富士は、秋天のかなたに小さいがくっきりと見えているもの。芭蕉の富士は、霧しぐれの中にあって巨大だが見えないもの。遠く江戸からはっきり見えていた富士が、箱根という至近から見ているのに見えないという点に、まず面白みがある。

「富士」は日本文化のなかで、もっとも重要な山である。奈良時代の『万葉集』以来、和歌に詠みつづけられてきた。「富士」は歌枕だったのだ。また、平安時代の『竹取物語』『伊勢物語』など物語の世界にも、重要な地名として登場してきた。絵画にも、さまざまに描かれてきた。現存最古のものは、平安時代の障子絵「聖徳太子絵伝」である。

 芭蕉は、実際の富士が見えないことで逆に、詠われてきた、描かれてきた、さまざまな富士の姿を想像したはずだ。霧によって生まれた幽玄な空間に遊ぶ楽しみも、面白さの一つと言っていいだろう。

 世間では、晴れると「よい天気」と言い、幸福感を覚える人が多い。逆に雨が降ると「わるい天気」と呼び、うっとうしさを覚える人が多いだろう。

 ところが、掲出句の場合には、富士を隠してしまうため、常識では嫌うべき「霧しぐれ」を、「面白き」と詠んでいる。ここに世間の常識にはくみしない、俳諧・俳句独特の美意識、思想が示されている。

「すべてのもののすべての状態に美を見いだす」、それこそが、俳句の根本にある考え方なのではないだろうか。

 富士ありぬ秋雲厚く動く奥 實
 旧道はいしだたみみち法師ぜみ

※この記事は2010年に取材したものです

小澤 實(おざわ・みのる)
昭和31年、長野市生まれ。昭和59年、成城大学大学院文学研究科博士課程単位取得退学。15年間の「鷹」編集長を経て、平成12年4月、俳句雑誌「澤」を創刊、主宰。平成10年、第二句集『立像』で第21回俳人協会新人賞受賞。平成18年、第三句集『瞬間』によって、第57回読売文学賞詩歌俳句賞受賞。平成20年、『俳句のはじまる場所』(3冊ともに角川書店刊)で第22回俳人協会評論賞受賞。鑑賞に『名句の所以』(毎日新聞出版)がある。俳人協会常務理事、讀賣新聞・東京新聞などの俳壇選者、角川俳句賞選考委員を務める。

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