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【行政院 旧台北市役所】竣工から5年足らずで敗戦を迎えた市役所の新庁舎|『増補版 台北・歴史建築探訪』より(7)

台湾在住作家である片倉佳史氏が、台北市内に残る日本統治時代の建築物を20年ほどかけて取材・撮影してきた渾身作『台北・歴史建築探訪』。このほど発刊される増補版では、初版の171件に加えてコロナ禍でリノベーションしたレストランやカフェなど40件が追加されています。この連載では、『増補版 台北・歴史建築探訪』より一部を転載し、ご紹介致します。

『増補版 台北・歴史建築探訪』(片倉佳史 著/ウェッジ)

 ここは日本統治時代の台北市役所である。竣工は1940(昭和15)年で、翌年から使用されている。つまり、竣工からわずか5年足らずで終戦を迎え、中華民国・国民党政府に接収された官庁建築である。

当時の官庁建築の入口には靴の泥を落とすための水道が設けられていた。現在は使用されてはいないが、痕跡は確認できる。

 日本人が台湾を去った後、ここは中華民国台湾省行政長官公署となり、その後は行政院が使用するようになった。行政庁舎としての機能に変化はないが、現在、この建物がかつて台北市役所だったことを知る人は多くない。

 建物は装飾を排したデザインである。建坪数は1122坪で、広い前庭を擁している。庁舎の建設は1936(昭和11)年からの2カ年事業として計画された。当初は総工費120万円が計上されたが、最終的には151万円(現在の貨幣価値では8億6070万円相当)という巨費が投じられた。戦時体制下、工事は遅れたが、完成時には台北市内指折りの大型官庁建築として話題となった。

装飾を排し、整然とした雰囲気をまとった建物だが、階段や窓枠などの細部は凝った意匠となっている。
玄関ホール。扉には当時「高砂族」と呼ばれた原住民族のデザインをモチーフにした装飾が見られる。

 建物の表面には黄土色の地味な色合いのタイルが貼られている。これは司法院の浅緑色と同様、「国防色」と呼ばれたものである。この時代の建物ではよく見られるもので、その派手さを全く感じさせない色合いには、空襲を意識せざるを得なかった当時の世相が見え隠れしている。

台北に市制が施行されたのは1920(大正9)年。戦後最大の悲劇とされる「二二八事件」の舞台にもなった。

 旧台湾総督府庁舎などと同様、この建物を上から眺めると、「日」の字型をしているのがわかる。四周に事務室を配し、中央には大講堂が設けられているが、これはかつての台北市議会議事堂である。正面中央部は4階建てとなっているが、その両脇の部分は3階建て。戦後も建物自体が大きな改修を受けることがなかったため、ほぼ原形を保っている。

日本統治時代の市議会用のホール。式典などもここで行なわれた。

 建物の前に立ってみると、前面に美しく並んだベランダもまた、すっきりとした印象を与えている。2003年からは毎週金曜日に限り、内部の参観ができるようになった。外国人でもパスポートを携帯すれば参観は可能だ。入口は正面玄関ではなく、天津街にある通用門となっている。

大きな窓は滑車を用いたフリーストップ式。旧台湾総督府などでも同様のものが見られる。

──書籍『台北・歴史建築探訪』は、台湾在住の筆者が20年かけて取材・撮影してきた渾身の作。今回発刊される増補版では、初版の171件に加え、コロナ禍でリノベーションしたレストランやカフェなど、実際に訪れたくなる約40件を新たに追加しています。カラーの美しい建築写真をご覧になり、日本人と台湾人がともに暮らした半世紀を振り返れば、きっとまた台湾を旅したくなるはずです。ぜひお楽しみください。

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片倉 佳史 (かたくら・よしふみ)
1969年生まれ。早稲田大学教育学部卒業。武蔵野大学客員教授。台湾を学ぶ会(臺灣研究倶楽部)代表。台湾に残る日本統治時代の遺構を探し歩き、記録。講演活動も行なっている。妻である真理氏との共著『台湾探見 ちょっぴりディープに台湾体験』『台湾旅人地図帳』も好評。
●ウェブサイト「台湾特捜百貨店

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