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雑記(2023.08.11)

まとまった文章を書こうと思った。できなかった。
気力がない。


コロナ禍以降、自分の中の対人感覚の閾値が変わってしまって、人混みに行くのが以前よりも随分とストレスに感じるようになってしまった。

飲食店で若い子が大きな元気のいい声で料理を運んできてくれる。マスクなしで。コロナ禍以前では全くもって普通だったこの状況で、ストレスを感じるようになってしまった。
以前の自分はなぜマスクをしていない人間が話しながら運んできた料理を平気で食べていたのだろう。むしろ、そちらが異常なのではないか。どうかしている。

電車で知らない人々の体温を感じながらギュッと詰め込まれるのも、暑い中で人混みを歩くのも、もう耐えられない。


この東京で人混みを避けることは、すなわち引きこもるということである。
引きこもって私がやることなんて、読書とネットフリックスと睡眠くらいである。外に出ないので、服もいらない。あまりお金を使わなくなった。

そうしているうちにお金が貯まってきた。まあまあの金額である。「これで一安心」と胸を撫で下ろしてもいいくらいの金額に思える。それなのに、妙に虚しいのだ。

貯金額を見たって正直なところ「これで一安心」なんて思えないのである。「こんなにお金があるのに、この程度のお金すぐになくなる」と、大人になった私は知っているのだ。病気にでもなったらひとたまりもない。吹けば飛ぶような貯金だ。もちろん、あるに越したことはないのだろう。

子どもの頃は想像できなかったような額が銀行口座にあっても、仕事はしなくてはいけない。生活も変わらない。
こんなのは当たり前の事実だ、今更気がついたか、と自分を嘲るが、虚しさは消えない。

それに、銀行口座にいくらお金があったって、ある日何の意味もなくなるだろう。日本円の価値が漸減していくなら、今、使ってしまった方がいいではないか。パッと花火みたいに使い切って、行きたいところへ行けばいい。こんなことを考えながらも、貯金などという愚かな行為をスッパリやめてしまうこともできない。小市民的な俗人の自分が恨めしい。


小市民的な俗人な上に、私は嘘つきだ。

私なんかよりずっと喫緊でお金が必要な人がいることを知っているのに、何をするでもなく、銀行口座にクソみたいな数値を意味もなく増やしている。世の中を嘆きながら、こっそり預貯金を増やしているなんて、本当に嘘つきだ。不誠実だ。

嘆くなら、少しでも世の中をよくしようと努力している団体にもっと寄付した方がよかろう。世の中をマシにするにはあまりにも少ない額だが、誰からも必要とされていない私が持っているより、格段によかろう。


いや、しかし、誰からも必要とされていないのは、究極的にいえば皆同じではないか。人類自体を必要としている存在など、きっとそう多くはない。

もしかすると、人間の皮膚に住み着いている細菌たちが住処を失って嘆くかもしれない。一万年以上もの間、人間と共同生活を送ってきた犬たちも悲しむかもしれない。

それでも、彼らは他の生き物と暮らせるだろう。心配することはない。
人間が作り出すであろう地獄の炎を耐えるより、その方がずっと易しかったはずだ。かわいそうに。

最後まで読んでくれてありがとう。