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目標とか目的とか





おはようございます。連休があけて、わたしは一寸、プチ鬱になりかけました。が、まあ、そんなんいうてもなあ、と、のそり立ち戻りました。なんでしょうね、こう、生きるという営為を、なにか目標とか、目的とか「点」でとらえていたのかもしれません。点の連続は線になります。線(せん)は戦(せん)にも通じますね。即ち、一点をのみで生きることをとらえると、それはそれで苦しいのでしょう。





ではなにか、その線を一本ととらえずに、無数の線、ネットワーク、網目のものとしてとらえること、これもひとつのやり方でしょう。そうすると、目標、目的というのは、一時の「焦点」となりえます。このあたりのことが、ある種、コスモロジーというものの世界ではあります。わたしもいて、あなたも居て、環境があり、その一切がわたしであり、わたしでない、と。すこし、幽邃なところに入ってきます。





そしてさらに進む、というか、これはコスモロジーの「裏地」のようなものですが「一切無」というのがある。これは以前、人間空っぽ説というもので若干書いたものではありますが、もう、人間がどうの、というより、一切が無であるということ。無というのは他に形容のしようがないから、無であって、有無の無じゃないってことですね、ここたいせつです。まあ、でも、ひとは時折、人生を線ととらえてしまうんでしょう、そうして落ちたり、また上がったりする。先ほどあげた「三つの局面」というのは、それぞれ、因果とも、縁起とも、空無、とも捉えられますね、面白い。


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