ほのぼの

会社員をしています。 仏教、心理学、あと、短歌、占いもします。 ここでは、のんびりと …

ほのぼの

会社員をしています。 仏教、心理学、あと、短歌、占いもします。 ここでは、のんびりと 日々の思いを綴っていきます。

最近の記事

白紙(しらかみ)一枚の心と体

※画像は 東洲斎写楽/メトロポリタン美術館さまより拝借いたしました。ありがとうございます。 さて、タイトルから、いかなるところから文章を起こそうか。始まりはそもそも、私の妄想というか、思念というか、その分厚さのようなもの。その類の人間であること。そこから、禅というものに触れて、自分なりに考え、実践したこと。それは即ち、「己(自我、思念)を薄くしていくこと」これだと。要するに世界との距離を縮めていくこと。 これには勇気(courage)が要った。そもそものところ、私にはそれ

    • あとしまつ

      ※画像は ポール・ゴーギャン/メトロポリタン美術館 さまより拝借致しました。ありがとうございます。 これは、全くのこと、自分自身についてのことで(まあ、私の場合常に自分ってもんについての言及なのだが)、何にしても乱読・乱聴といったあたりで、若い頃の名残があって。20代、30代のころはそれでも必要だったが、40代も末になって、流石に自分が、何か確たるものを知らず・持たざることが沁みてきて。 元より人間は「本来無一物」である、などという前に、生きているそばから、ほろほろともの

      • くるたのしい

        ※画像は ピエール=オーギュスト・ルノワール/メトロポリタン美術館 様より拝借致しました。ありがとうございます。 まったくもって、浮世のことはかまびすしい(騒がしい)。そして、収まるところを知らない。暑さも来る、なんもかんもくる。ようだ。 仕事のうえで、一つの山を越えて、すこしだけど、たくましくなったのかもしれない。こういったものは、苦しいけれどたのしい、楽しみ、己の成長も感じられなかったら、やってて空しい。 作家の遠藤周作氏は己の仕事に関して「くるしいけれどたのしい=

        • 引き返すこと(頭とからだのはなし)

          ※画像は フィンセント・ファン・ゴッホ/メトロポリタン美術館 様より拝借致しました。ありがとうございます。 ここのところ、割と調子がよかったのだが、一度風邪をひきかけた。その折におもったこと。風邪を引くのはどうも、頭とからだとのかみ合わせがくるった時が多いなと。特に、煎じ詰めたように頭でっかちになって、何か一つの「気づき」に至って、その高揚感のあるうちに、からだなんかだるい。のような。 こういうときに、以前だと割に通常運転しようとしてた訳ですが、今回ふと気づいたんですよね

        白紙(しらかみ)一枚の心と体

          なくならない もの

          ※画像は ポール・セザンヌ/メトロポリタン美術館 様より拝借致しました。ありがとうございます。 人間関係にせよ、仕事の流れにせよ、トラブルを招くときってのはあるもので、そういうとき、私の場合は「過剰になっている」ことが多い。つまり、余計に仕事を増やし、余計なひとを引き寄せる。 で、それらの根拠になっているものって、愛着心、執着の心だなと思うのです。 それを無くしてしまえば、生きるのは楽になる。が、それを完全に無くしてしまえるか、というと、それもなあ、と。依存心、依頼心、

          なくならない もの

          ぼちぼち

          ※ 画像は 歌川国芳/メトロポリタン美術館 さまより拝借致しました。ありがとうございます。 さて、年度末/年度初めの慌ただしさを漸くぬけた感じ。この、一寸の凪の時間を味わおうではないか! 僅かな隙に息継ぎをする、遠泳の選手みたいに。最近益々、自分は普通なんだなとおもうようになって来ています。ああ、普通。平凡やなあ、でもどこかでひとより秀でていたいなんて思っていたりもして、案外めんどくさい。 それよりも、もうすこし謙虚な、そういう位置に居る自分もあって、それはそれでいて、ぼ

          すれ ちがう

          ※画像は ポール・セザンヌ/メトロポリタン美術館 様より拝借致しました。有り難う御座います。 年度を越えて年度がはじまる。様々な感慨が、それを吟味している間もなく、過ぎていきます。ただただ、過ぎる。 そのなかで離れていく人たちとは、離れていきます。でも、その、根っこのところは言えない。人が離れていくときには、なんとなく、というのは、まだいい方で。もう、考え方の方向が違えば、人は離れていく以外に無い。まるで長年続いた、ロックバンドの解散のように、ね。 そのようななか、私は

          すれ ちがう

          つなぐ/つながる

          ※画像は エドゥアール・マネ/メトロポリタン美術館 様より拝借致しました。有り難う御座います。 ここ暫く忙しく、どうも私はせかされることが苦手で。人によってはそれで燃えてくるというのもあるのでしょう。人様々。 前回の観音、観ずること、と書いてみて、なかなかイメージがしづらいことを書きました。そこで、ひとつイメージをしやすい「観ずる」ということの(私なりの)概説というか。ひとの意識って、其の人其の人の周期はあると思いますが、時にふっと、集中が途切れています。 で、この、集

          つなぐ/つながる

          観音/人間関係についての一考

          ※画像は 葛飾北斎/メトロポリタン美術館 様より拝借致しました。ありがとうございます。 さて、のんびり過していたら、いろいろと展開を迎えています。むつかしい。飴と鞭というか、そういう日々。飴はもっぱら、私が私自身に与えているのかも知れず。 観音さまというものについて。「音を観ずる」って書きますよね。この「音」ってなんだというと、一切衆生ともいえるし、おのれの「心の声」ともとれる。で、その一切衆生ないし心の声に聴き入ってしまうと、こらあ、しんどいですね。なぜかというと、まあ

          観音/人間関係についての一考

          らぶりぃ

          ※画像は ポール・セザンヌ/メトロポリタン美術館 様より拝借致しました。有り難う御座います。 春になったせいか、一旦、こころも体も緩んできたみたい。人の心も、わが心もつかみがたし、わかりがたし、はかりがたし。でも、なんとなく、流れが来ているのを感じる。知的好奇心の高まり、すこしの押しつけがましさもありつつ、でも、まっ、いっかあと。 ブッダ、孔子、ソクラテス。賢人達の話されたことや書かれたもの、そうしたものを漁ったりして。それももう、一回りしてみて思うのは、もっと普通に、と

          らぶりぃ

          冬から春へ

          ※画像は 葛飾北斎/メトロポリタン美術館 さまより拝借致しました。ありがとうございます。 いろいろと、昨年の春くらいからかな、長いところ、耐え忍んできた。なにがいけないと思って、何もかもうまくいかないような気がしていた。でも、そこは忍んで、目の前のこと、仕事でも、まず少しずつでもパフォーマンスを上げようと。 そこから、この冬のはじまりあたりから、少しずつだけれど、ほんのり光がともりはじめた。いい意味での積極性が戻ってきた。それとともに、人の和も。 改めて、人間関係につい

          冬から春へ

          とことこと

          ※画像は エドゥアール・マネ/メトロポリタン美術館 さまより拝借致しました。有り難う御座います。 ここのところ、般若の思想、中観というものを改めてこつこつと考えて、読んでいて。テキストは岩波文庫の『般若心経 金剛般若経』です。いままで、縁起というもの、相互に依存するということを狭く捉えていたなと。ぱっと開ける思いでした。 それを更に敷衍させると、華厳経の理と事の世界になってくる訳ですね。そしてそれは禅の時代までくだってくると「平等覚」といったあたりになる。そこまでたぐって

          とことこと

          二元的な

          ※画像は ポール・ゴーギャン/メトロポリタン美術館 から拝借致しました。ありがとうございます。 おはようございます。本日お休みをいただいています。リフレッシュします。最近考えていたことの一つに「二元論」というのがあります。例えば心と体、ですね、私とあなた(他者)もそうです。この、古典的とも、又例えば二元を乗り越えるなどと言われる二元論ですが、案外と「使い勝手がいい」面もあるかと。 心と体、という風に捉えてみて、不思議だなと思うんですよ。心と体とが「調和」している状態が良好

          二元的な

          訝しむ

          ※画像は フィンセント・ファン・ゴッホ / メトロポリタン美術館 さまより拝借致しました。ありがとうございます。 こんばんはとおはようございます、の間の時間。に、綴ります。今年の目標としては「探究と、備えの年」とすること。探究については、仕事と短歌、それと仏教を今一度。仏教に関しては、やはり入り口である「空観」からまた学び直す。 備えるというのは、仕事術・リスクに関する学びですね、そこをもっと方法づけていかないとなと、今更ですが思う。で、書籍を調べてみたんですけど、経営者

          年明けて

          ※画像は akiyamaikumi さまより拝借いたしました。ありがとうございます。 さて、この年の始まりは、兎について考察しようと『十二支考』兎のところを読みはじめて、これは面白いと初めて思えた。斯くして思うのは、人間がこの、兎という生き物の生態を捉えんとして、いかようにも、遠回りを続けてきたという。その、網の目のような、徒労のような、それこそが学であり、知そのものではないか。 人の心というものは移ろう。杯の王という、タロットのカードがある。今年の一枚と引い

          年明けて

          hon toni maa

          ※画像は ヨハネス・フェルメール/メトロポリタン美術館 さまより拝借致しました。ありがとうございます。 深謀遠望は浅慮に似たり。あ、おはようございます。いま自分のなかでは、思考のパラダイムが移って行っている。其れは次第次第に表面化してきているけれど、まだ大きな事には至っていない。 いわば、ひとつの遷移期な訳だが。なぜ人は、自分とは異なるひとに惹かれるのだろう、そして同様に、どうして自分とおんなじ人にしか惹かれないのだろう。不思議だなと思う。そして、いつまで自分のことを「現

          hon toni maa