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黄色い光に包まれて 全ては繋がっている

母が亡くなり、葬儀を終えてもまだまだ忙しく、食べたり飲んだり、座る時間がかなり減っている。

なんだかんだで、ここ3か月、4、5キロくらい体重が減り、振り返ってみると、精神的にも相当しんどかったなぁと、思う。
手続きや、必要なものの手配などに忙しく、自分のことに使える時間が少なかったので、食事をする時間があまり取れなかった。
気持ちが辛すぎて、食べ物が喉を通らない日もあった。

休日は、普段より余計に母のところに居て、やれる事をやってあげようと思っていたので、ふと気づくと全く水を飲んでいない日もあった。

自分のことも、本当はもっと労ってあげたほうが良かったのだろうけどなにせ時間が足りなかった。

3か月、ひたすら走り続けて見えないゴールを探し、ゴールしたと思ったらそこがまた新たなスタートだった。

とにかく、今、ものすごく消耗しているのは、間違いない。
でも、気持ちが昂ぶっていて、眠れない。
亡くなる前からずっと。
母の事が気になって、苦しんでないといいなと、毎日祈りながら朝を迎えていた。

苦しんでいる母は、もうここには居ない。
ふっくらした笑顔で見守ってくれている。
だから、私は、ちゃんと食べて、自分のことをして、眠った方がいい。
でも、さまざまな雑事も多く、落ち着くのは一体いつだろう。

心の奥に小さく待っていたモヤモヤが、今回の葬儀で大きくなって、私は心が狭いなあと悶々としていた。

さっき、また夜中に目が覚めて、ぼんやりとしていた時に、ほわーっと黄色い光に包まれた。

私は離婚するまでに、義実家でたくさんの葬儀、法事を手伝ってきて、家でどのようにお寺さんやお客さまに振る舞うのか、何度も経験させていただいた。
何を用意して、どんなものをお渡しして、お茶はどのタイミングで出すのか。
お手伝いだし、遠い記憶すぎて忘れていることもたくさんあるけれど、ぼんやりと記憶が残っていて、今回、その記憶をたどりながら、失礼の無いように、気持ちよくお帰りいただけるように、精一杯やらせてもらえた。(それでも、この状況の中、限界はあって、危うく失礼になるところだったり、巡り合わせで何とかなったり、想定外の事がたくさんあった)

悲惨な離婚をして、元オットとは連絡出来ずにいるけれど、義母さんとはやりとりが続いていて、葬儀のことを知らせるかどうか迷った。
そして、事後報告にすると決めて、全て終えてからお知らせした。
母をどのように送り出したいか、を優先した。

でも、義母さんのおかげで、暖かいお別れ会が出来たのは間違いない。そのことにふと気づいた時に、さっきの黄色い光に包まれたのだ。

あ、お母さんだ。お母さんが横で笑ってる。
おかげさまだよ、って言ってる。

小さなことにこだわって、心を縮こめていた私に、お母さんが教えに来てくれた。

気付けてよかった。
夜中ではあるけれど、感謝の気持ちを義母さんにもすぐ伝えた。
(夜中まで起きている事が多いので)

全ては繋がっている。

ご縁に感謝します。

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