春の歌
毎週末、1週間分の食料品を買いに行く。
なかなかの荷物になるので、夫に運転をお願いして車を走らせていた。
家を出て5分もしないところで、満開の桜が目に止まる。
水路が脇にあって、桜並木が数十メートルほど続いていた。道は、歩行者用にレンガ調のデザインで整備されている。所々に木製のベンチがあるのは、花見用だろうか。
すごーーーーい!満開だ!
思わず声を上げると、夫も横目で確認して「いいねぇ」なんて相槌をうってきた。
視線をやったのは、通りすがりの一瞬だけ。
その、一瞬。
切り取られた散歩道があまりにも煌びやかにみえて、私は思わず語気を強めて言った。
いや、待って、今の幸せ!
幸せすぎる画角?!何て言えばいい?
幸せがいっぱいよーあのワンカットは!!
私が車の中で騒ぎ出すのはいつものことなので(苦笑)、夫は大して驚きもせず「あぁ、桜が綺麗だったね。」と相変わらずの相槌。
違う、違うよ。私が言いたいのは桜じゃない。
散歩道を歩く人々の多様性だ。
そして、そのいろいろな人たちが、『幸せそう』に歩いているシーンそのものに感動したのた。
妊婦の方と旦那さんと思わしき人、
犬の散歩をするおばさま、
自転車で突っ走る子どもたち、
帽子を被った幼児と手を繋いで
明らかに小さい歩幅で歩くお父さん、
並んで歩く老夫婦、
ランニングする高校生 ………
たった一瞬だったが、その場で夫に伝えるには十分記憶が新しかったので矢継ぎ早に実況した。
年齢も境遇も違うだろうに、桜の下にいるだけで何だか幸せオーラが全開に見える。
いや、実際幸せなんだろう。
それぞれいろいろあるかもしれないけど、あの一瞬目に入った人たちは、きっとみんな幸せだ。
少なくとも、あそこを歩いているあいだは。
あの満開の桜は、有無を言わさぬ説得力があった。
だって、そうでしょう。
ちょっと渡れば広い道もあるのに、あんなに綺麗な桜の下を嫌いな人と「あそこ渡りますか」なんて言えたもんじゃない。
信じてる人と。
心を許してる人と。
綺麗なものを前にしたとき、
素直に「きれいだね」と言い合える関係性の人としか、あの場所には行き辛い。
散歩道からは、桜の美しさだけではなく
渡る人たちの信頼やら幸福やらが
通りすがった車内にまで流れ込んできた。
なんと心地よい、春の感覚。
私の熱弁を聞いていた夫は、「確かに会社の部下に桜を見に行こう、とは言わないわ。」と笑っている。
素晴らしいタイミングで、車内のスピーカーからはスピッツの『春の歌』が流れてきた。
春の歌 愛と希望より前に響く
聞こえるか? 遠い空に映る君にも
こういうときのために、『エモい』という言葉はあるのかもしれない。
そこからスピッツでどの歌が一番好きかという話題に変わって、いつのまにかスーパーにたどり着き買い物を終えた。
家に着くと、いつもはどっと疲れてダラダラするのが常なのだが、夫が「散歩でもいこうかな」と言う。
私も行く。
あたりまえじゃん。分かってるよ、
桜を見に行くんだよね。
10〜15分ほど歩くと散歩道についた。
一瞬の記憶を裏切らない美しさ。
歩いていると、ふと、ある記憶が蘇る。
そういえば、最初のデートも桜を見たっけね?
「そうだよ、丁度3年前の今くらい。」夫は何でもないように答えた。
ふーん、そうか、3年前ね。
3年…。あっという間だったなぁ。
もう3年も経ったのか!早っ!
と思っていたら、夫は「まだ3年しか経ってないんやなぁ。」とつぶやいている。そして、
「もっと長く一緒にいる気がするよ。」と続けた。
あら、そうなの。ふーん。
なんだかちょっと照れくさいね。
思わずスマホを出して、
周りの景色を撮りまくった。
春の歌 愛も希望もつくりはじめる
遮るな 何処までも続くこの道を
さっきのスピッツの歌が、脳内でリピートしてくる。
(確かに、エモい。)
心の中でつぶやくと、スマホをポッケに入れて先を歩く夫の後を追いかけた。
(読んでいただきありがとうございました!!)
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