『桐島、部活やめるってよ』TRPG その9(ディレクターズノート)

ディレクターズノート

 なんとなく作ってみた感想などを。ただし、あまりまとまっていない。思い付いた事を、とりあえず書き連ねて見る事にする。

 TRPGというゲームを愛好するようになってまだ日も浅いが、TRPGの欠点と言いますか、「題材がファンタジーとか多くて、人を誘うのが気恥ずかしい」というのがあった。
 べテランプレイヤーの方に、「何でTRPGはファンタジー要素が多いんでしょうか」と尋ねた事がある。そのベテランプレーヤー氏が言うには、「リアルに近い設定であればある程、人は僅かな違いで他のプレイヤーと分かりあえなくなる。逆にファンタジーという大きなフィクションならば、僅かな共通点で分かりあう事が出来る」からだと言う。

 なるほど、と思いつつも、どこかでその大きなフィクションというものに頼って、小さな共通点から漏れた、「僅かなズレ」みたいなものを、取りこぼしていないだろうかとも思ったのだった。私はむしろ、分かりあえなくてもいい、その僅かなズレをこそ、他人と共有してみたかった。

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 TRPGの不満として、セッションの後の、「だから何だった感」も気になっている。

 遊びで、「だから何だった」なんて事言ったらどうしようもない気がするが、TRPGは割合時間と手間のかかるゲームであり、それなりにコミュニケーション欲も満たされて、満足感も大きいのだけれども、1日、架空の出来ごと、しかも、剣や魔法だ、勇者と魔王だ、という事に血道をあげていて、帰り道ふと我に帰り、「いったいなんの時間だったのか」という感覚にとらわれる事もないわけではない。
 なにも、ファンタジー的な物を否定しているわけではないのだけれど。

 TRPGを、楽しかった、盛り上がった、連帯した、のために「消費」(というと誤解を招きそうだけど)する事から、もう一歩逸脱できないものかどうか。

 例えば、TRPGでゲームをするという事そのものが、扱っている題材の批評になったり、ジャンルについて考える事に繋がったりは出来ないだろうか、と。

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『桐島、部活やめるってよ』の映画が面白く、感想が言いたくもなり、また他の人の感想も聞きたくなった。
 ネット上の感想などに触れると、人は『桐島』を語る時、自らの「高校生活」の経験を絡めて、自分達があの世界に居たら、どのポジションにいたか、をよく語りたがるなあと思った。

 いっそそれを、もっと具体的に、ゲームに出来ないかと思ったのが、これを作った動機となった。このゲームをプレイする事で、『桐島』への批評になり、感想になったり、あるいは「青春」と言うものを自分なりに考えるきっかけとなるのではないか。
 またプレイ中の「描写」をまとめれば、それは物語にもなるし、もう一歩手を加えれば二次小説にもなるだろう。ただ単に、TRPGのセッションというものを、あるジャンルの消費で終わらせたくないな、という気持ちが私にはある。他人と物語を共有するという体験を、「楽しい」「盛り上がる」「共感」だけでは、もったいないと思うのだ。

 しかし、「物語を作ること」、もっといえば「批評すること」や「考える事」は、どんな人にも出来る事なのかどうか。

 TRPGはゲームである以上、万人に開かれてなくてはならない。どんな人でも、プレイする事ができる必要がある。
 しかしこのゲームは、もっと「物語を組みたてれられない人」「考えられない人」に対して、システムとしてフォローする要素が少ない。配慮が足りない。「商品としてのTRPGルール」には程遠い。そんな気がする。
 ランダム表などをもっと増やして、サイコロを振りさえすれば、自動的にキャラクターや物語が出来て、だれしもこの世界を楽しめるような、そんな強化をしなければ、万人に開かれたゲームのルールにはならないだろう。

 だがそこにもちょっと抵抗がある。丁寧な物語構築システムは、結局プレーヤーに最適行動という枷にはめてしまうのではないか。
 だからといって、プレーヤーにあまりに自由な裁量は、リプレイでも少し述べたが、キャラクターの心情にどこまでプレイヤーが踏みこんでいいのか、恣意的に動かしていいのか、という事にもつながる。

 キャラクターをプレイヤーから自由にするためには、プレイヤーが意のままにならないシステム的な縛りが必要だ。
 だがその縛りが、キャラクターの心情の自由を、どう保障するかはわからない。
 もっと言えば、キャラクターがプレイヤーの手から離れる事が、本当に双方にとって幸せな関係といえるのかどうか。

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 今回初めてTRPGのルールを作ってみたが、また分からない事が沢山できた。考えるために、何らかのルールを作る。この行為そのものも、ものすごく楽しい。
 いろんな人にこのゲームをプレイしてもらい、感想を聞きたい。そして『桐島』の感想や、いろんな人の高校時代へ抱いている屈折した思いや、青春と言うフィクションに対しての、「僅かな違いによる分かりあえなさ」を味わってみたい。

 ぜひ、プレイをし、リプレイ等を作成していただいたら、これほどの喜びはありません。

 この記事を作るにあたって、素敵な写真を貸してくれる事を快く了解してくださったニシデアンナさんと金原美和子さんに感謝。

 また、『桐島、部活やめるってよ』の原作者である朝井リョウ先生、ならびに映画版の製作に関与した全てのスタッフの方、俳優の皆さんに敬意と、ありがとうをいいたいです。

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