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書かなくても幸せなら、まあいいか

久しぶりのnote更新!

いやー、1ヶ月少し前までnote毎日更新してたなんて、当時の自分、すごいな(笑)一応50日くらい続いたんだっけ...?


今はちょっともう、毎日更新はムリだし、現時点ではする必要もないかな、などと感じている。

理由はシンプルで、「毎日」知らない人に向けて書く行為が、自分に向いてないことに気づいたから。

毎日公に文章を投稿しようとすると、当然多くの「書くこと」が必要になってくるわけで、となると日常のいろんなこと(自己、他人、世界を観察して得られた気づき)をネタにしようという心持ちになってくる。

となると、生活の中心がnoteになってくる。

これを肯定的に捉えられるか、そうでないかは、当然だけど人それぞれだと思う。

そして僕は後者側の人間だったという、それだけの話。

なんというか、極端な体質なので、「noteを毎日書くために生きている」みたいな気分になってくるんだよな。

そうすると、日常のnote以外のことを疎かに捉え出したり、noteを毎日書いている自分は無条件で偉い、みたいなプチ万能感も生まれ出したりして。

気づけば、あまり良くない状態になっていた、と認識している。「なんか(俺の人生に)良さげだから」という感じで始めたはずだったのに、全然良さげじゃない方向に自ら進んでしまっていた。

そして一旦落ち着いた。普通に考えて、僕はハッピーであるために生きているのであり、noteを毎日書くために生きているのではない。

毎日noteがハッピーにつながらない気質なのであれば、え、普通に辞めるべきじゃん、という結論に至ったため、毎日noteとおさらばした。


これはあくまですべて僕自身の話なので、毎日noteなんてクソ!いいこと何もない!みたいな、そういう視野が狭窄しちゃってる主張をしたいわけでは決してない。

毎日noteを自らのハッピーに変換できている人は当然いるだろうし、僕自身やっていて得ることができたものもある。(例えば、淡々と、70点くらいのアウトプットを出し続けようとする精神性とか。バイトでも役立ってる)

それは前提として、ただ、総合的に考えて僕には向いてなかったな、と。ただそれだけをつらつら話しているnoteです 笑


noteで表現をすることは、もちろん続ける。

だってnote最高だもん。現に久しぶりに今日使って、お、やっぱ最高やな、という気持ちになっているし、まああまり大きい声では言えないけど承認欲求も一定満たされるし、やはりnoteは、僕が健全に生きるために必要な依存先の1つだ。

ただ、毎日書くという縛りはいらないな、と。

好きな時に気分任せで書く。高校の時、制限時間をはからずにむずかしい問題とにらめっこするのがすきだったけど、そんな感じで。

自分しか見ないメモはnotionで相変わらず沢山書いてるけど、それと、「知らない人が見る」というある種強制的に客観性を求められるnoteの場で書くこととでは、それぞれちがった良さがあるので、どちらも活用していきたいな、という所存。



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