ショートショート 1分間の国 ◎【シン・日本人の誕生】



 綺麗な満月の夜だった。ベランダを開けるとどこからともなく甘い花の香りが漂ってきて、吉村大輔は深呼吸をし、春の気配を胸いっぱいに満たした。


 せわしない足音がする。見下ろすとマンションのすぐ足元の小路を10人ほどの男が互いにもつれ合うようにして走ってくる。全員が黒っぽい服装で、よく見ると手に手に小刀というのかドスというのか、刃物を握っているらしい。その刃がときどき月明かりにギラリと光る。


 男たちは無言のまま、その集団のほぼ中央にいる小柄な男の体に無造作に刃物を突き立てた。四方から次々に刺された男はなにか叫んだようだったけれども、マンション4階のベランダにいる吉村大輔にはそれがなにをいっていたのか聞き取れなかった。


 テレビドラマなら刺された男は虚空に手を伸ばすものだが、そういう仕草もない。ただ刺さった刃物に支えられて棒立ちになったまま腹や脇腹や腰をさらに散々に突かれて、これはいったいどうしたものかと困惑しているように見えた。


 襲った黒い男たちのグループのひとりが、いまきた小路を逆方向に走り去っていく。群が崩れ、可哀想な犠牲者がようやく崩れ落ちる。グループのひとりが馬乗りになってその首を深く切った。もうひとりが片耳を削ぎ落として無造作に自分のポケットに入れた。


 統制のとれた動きにそこいらへんのチンピラではないようだな、とまったく素人の会社員ながら推測する。うしろの部屋からテレビの音が漏れてくる。笑い声がやけに空虚だ。


 これが事件として報道されるのは何時くらいになってだろう。このマンションや近隣の住人で自分以外に気づいた者がいるようすもないし、だとすれば通報もたぶんこれからだ。


 こりゃ惨劇っちゃあ惨劇だわな。


 襲ったグループの男たちの姿はいつのまにか消えて路上にはひとり被害者の男がKの字型に寝ている。体の下から黒いシミのようなものが広がっているのは血だろうか。


 殺された男に家族はいるのだろうか。家族は悲しむだろうか。


 もしかするとこの殺された男の魂がそこらあたりを浮遊しているかもしれない、と周辺を見回し、満月の夜空を見上げてみたけれども、やはりそんなことはない。そんなドラマチックなわけがない。


 その代わりのように風が吹いて、植え込みのトネリコの梢を揺らした。遠くでサイレンの音が聞こえる。


 ベランダの手すりにつかまった吉村大輔はゆっくり腰を伸ばし、世のなかにはほんとうにこんなこともあるのだなあ、と思い、部屋に戻り、降り注ぐ満月の輝きにカーテンを閉ざし、テレビも消して寝てしまった。

 

                           (了)



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