を(「あ」改め)

自己紹介は苦手です。ほぼほぼ物語の世界に生きています。よろしくお願いいたします。

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最近の記事

掌編小説 ◎【松尾正吉の失踪】

 松尾正吉が約一年半前に購入した古民家にその息子である松尾孝史が訪れたのは、父と母が最後に電話で会話してから16日目、父に連絡がつかないとわかって2日目のことだった。  正吉がひとりで古民家暮らしをはじめて以来、2人は週に1回は連絡を取り合うことにしていた。なにごとにも几帳面な正吉がそうした約束ごとを破るのはこれがはじめてだった。  正吉が住んでいるはずの黒峰村の古民家、トタン屋根の元農家だった建物は写真から想像するよりもずっと大きく、照りつける真夏の太陽の下、黒々とした

    • 掌編小説 ◎【松尾正吉、黒峰村に移住する】

       松尾正吉が購入した古い民家は、県道とは名ばかりの貧弱な簡易舗装の道から直角に伸びる私道の先にある。  民家まで40メートルほどもある私道の両側は田んぼで、最近の収穫の跡がある。ここの土地は家と一緒に購入しているので、去年の暮れからは正吉の所有地だ。そこで誰が米づくりをしたのかはわからないが、別にことわりもなく云々、と咎め立てする気持ちは正吉にはない。  おそらくは空き家になってからの何年間かはそのように使い続けられてきたのだろうし、正吉は農業にまったく関心がない。盛大に

      • 掌編小説 ◎【松尾正吉と懐かしい影】

         途中で誰かに道を確認しないとたどり着けないかもしれないと思っていたけれども、目的の黒峰村は意外なほどあっさり姿を現した。  松尾正吉が中学校の2年生になるまで過ごした黒峰村は山間の寒村であり、わずかな耕地を十数戸の農家が分け合って米などをつくっていた。  その事情はいまも変わらないらしく、数百メートルずつ離れた家はどれも古色蒼然としていて、取り囲む田んぼには収穫を終えた稲株が並んでいる。おそらく総世帯数も変わっていないのではないだろうか。  考えてみれば、山間の突き当

        • ショートショート 1分間の国 ◎【阿J正伝】

          「いやいや。うわあ。……、そうとうヤバいんじゃないか、これ」  佐藤祐介は思わず呟いて寝起きの頭を掻き毟った。ここしばらく深く悩まされているのだ。  窓の外はすぐ隣のアパートの灰色の壁が迫っている。  佐藤祐介名義のユーチューブ番組の企画と演出を担当してもらってきた木村隆光を本気で怒らせてしまった。木村がいなければ、もうこれから先、まったく手も足も出せない。番組は終了するしかない。  少しばかりヒットして、ようやく飯が食える状態になりかけたところだというのに。  演

        掌編小説 ◎【松尾正吉の失踪】

          ショートショート 1分間の国 ◎【シン・日本人の誕生】

           綺麗な満月の夜だった。ベランダを開けるとどこからともなく甘い花の香りが漂ってきて、吉村大輔は深呼吸をし、春の気配を胸いっぱいに満たした。  せわしない足音がする。見下ろすとマンションのすぐ足元の小路を10人ほどの男が互いにもつれ合うようにして走ってくる。全員が黒っぽい服装で、よく見ると手に手に小刀というのかドスというのか、刃物を握っているらしい。その刃がときどき月明かりにギラリと光る。  男たちは無言のまま、その集団のほぼ中央にいる小柄な男の体に無造作に刃物を突き立てた

          ショートショート 1分間の国 ◎【シン・日本人の誕生】

          ショートショート 1分間の国 ◎【家族という迷宮】

           2日前の深夜2時過ぎ、私の部屋のドアをノックするものがあった。私はウトウトしてはいたものの半醒半睡というよりはかなり醒めた状態でベッドに入っていて、その続けて2度鳴らされた、手加減なしのノックの音に対しても、律儀に2度「はい」と返事をした。  それへの応答はなかった。家族はもうとうに眠っている時間だし、いま私に用事のあるものなどいるはずはない。いったいどういうことなのだろう、と考えて気味が悪くなってきた。幽霊話は認めていないけれども、時刻はちょうど丑三つ時である。否応なく

          ショートショート 1分間の国 ◎【家族という迷宮】

          ショートショート 1分間の国 ◎【老境花畑】

           私はジジイである。耳は衰え目はかすみ、呂律は回らず歩くのさえも億劫だ。  それまで自分を騙し騙ししても拒絶していた年寄り呼ばわりを受け入れるようになったのは、還暦をはるか過ぎてまず頻尿になり、それからほどなく食事の量が明らかに減ったときだ。  とくに病気などはしていないので、年齢を重ねて自然に膀胱も胃も硬くなったということなのだろう。こういう静かな変化がジジイを自覚させるには効く。病気なら、それが治ればまた元に戻れるかもしれないという一縷の望みにいじましくも縋ってしまう

          ショートショート 1分間の国 ◎【老境花畑】

          ショートショート 1分間の国 ◎【命あずけて】

           最初にネタばらしをしてしまう。これは夢のなかでのお話、こんな夢を見た、という他愛もない作品だ。しかし最後に「そこで目が覚めた」とやって顰蹙を買うのはいくら下手くそな私でも恥ずかしすぎる。  それから私にその奇怪な夢を見させたのはたぶんティム・バートン監督、ジョニー・デップ主演の映画『スウィーニー・トッド フリート街の悪魔の理髪師』だろうということもお知らせしておく。  理髪店はなぜか肉屋と同じくらいに血腥い話の舞台に選ばれがちだから、それだけでなんとなくその手の物語だな

          ショートショート 1分間の国 ◎【命あずけて】

          ショートショート 1分間の国 ◎【罵倒観音】

           福ちゃんが駅裏のレストランバー〈ROMERO〉にやってきたのは、一昨年の初夏のころだった。  その4階建ビルの1階と2階にはテナントとして美容室と事務所が入り、〈ROMERO〉は3階、そして4階にビルのオーナー兼〈ROMERO〉店主のショウさんの住まいがある。  むさ苦しい四十がらみの大男、ショウさんとはまるでチグハグな漆喰の瀟洒な外観は、人形のように可愛らしい福ちゃんが居着いてようやく本来あるべき姿にピタリと収まった感じがした。  おそらく少なくとも10は歳の離れた

          ショートショート 1分間の国 ◎【罵倒観音】

          ショートショート 1分間の国 ◎【たとえば暮らし】

           いつもぼんやりしているように見えるらしい私は、お花畑だとか昼行灯だとか、陰でいろいろとバカにされているようだ。それはそれでまんざらでもない。こんな世の中に一所懸命に適応しようとして必死に生きていることのほうがよっぽどおめでたくはないか。  私はいまや人間の種としてのバランスに貢献する希少な存在なのだ。  そしてこんな立場を標榜していると友達も少なく、必然的に暇になるので、よく考えごとをする。〈たとえば〉からはじめる。  〈たとえば〉世界中が平和になり、貧富の差も解消さ

          ショートショート 1分間の国 ◎【たとえば暮らし】

          ショートショート 1分間の国 ◎【ギフト】

           110番通報を受けて到着したとき、戸山太郎、通称シドはすでに香水のきつい匂いが充満する現場アパートのキッチンで息絶えていた。  シドはこの界隈にたむろする不良グループの一員で、駆けつけた我々巡査とも面識がある。元プロボクサーで、一時は〈悪魔の左〉、〈キラー〉などと賞賛されていた天才肌の選手だった。  しかし素人とちょっとした揉め事を起こしてリングを遠ざかってから、もう3年が経とうとしている。本人は必ず返り咲いてチャンピオンになるといっていたようだが、再起は不可能だろう。

          ショートショート 1分間の国 ◎【ギフト】

          ショートショート 1分間の国 ◎【ウソでもいいの】

           突然で恐縮だが、私はウソつきだ。自慢ではないけれども生まれてこのかたずっとウソをつき続けてきた。  たとえばまだヨチヨチ歩きのころ、親に連れられていったデパートで知らないおばちゃんに「どうしたの。迷子になっちゃったの」と聞かれ、母親がすぐそばにいるにも関わらず、そしてそれを知っているにも関わらず「ウン」とさも可愛らしく首を縦に振って迷子にしてもらったことがある。  子供時代には、毎年元旦の朝に家族がそれぞれのこの1年の目標を発表するという習わしが我が家にはあった。それで

          ショートショート 1分間の国 ◎【ウソでもいいの】

          ショートショート 1分間の国 ◎【その夜を越えて】

           クリスマスだというのに人通りは思いのほか少なく、「ツキシマドー薬局のかど」の女はすぐに見つかった。背中に届く黒い髪に白っぽいふわふわしたオーバーコート、茶系のハーフブーツを履いている。  血色の悪い年齢不詳なその女の丸い顔を見るなり、横川誉士夫は早くも後悔しはじめた。 「横川です。こんにちは」  声をかけられた女は驚いたように大きな目を上げて、それから小さく頭を下げ「ミカです」とかすれた声で返した。  つまらないなりゆきは決定的だな。  なにも望んでいなかったのに

          ショートショート 1分間の国 ◎【その夜を越えて】

          ショートショート 1分間の国 ◎【カラスは知っている】

           私は両腕を上げて眠る癖がある。高校卒業の前年の夏休みに、実家に遊びにきてそのまま泊まった友人にいわれて気がついた。受験勉強が大詰めの、まったく遊んでいる場合ではない時期だったので、いよいよお手上げか、グリコか、と友達だけでなく親からも散々からかわれた。  たしかにバンザイをしながら眠るなんて滑稽だし、ほかに聞いたことがない。就寝時にはちゃんと両腕とも毛布のなかに入れて行儀よくしているのだけれども、やがて寝入ると鬱陶しくなって無意識のうちにバンザイをしてしまうのだ。  後

          ショートショート 1分間の国 ◎【カラスは知っている】

          ショートショート 1分間の国 ◎【純愛=妄想=変態】

           夢想する、妄想する、だけならまだしもそれに癖(ヘキ)がつくとなると、程度の差こそあれ、だいたいは身構えられる。  まあ、夢想癖、妄想癖は社会不適合者のデフォルトのようなものだから仕方がないけれども、こんなひどい社会に適合するなんて、という反論も夢想家、妄想家にはあるわけだ。  私も敢えて妄想癖があると名乗ることはもうしないが、知り合いから指摘を受けることはままある。指摘してくれるくらいだからある程度は親しい間柄なわけで、この場合は気にならないけれども、ではそれ以外の方々

          ショートショート 1分間の国 ◎【純愛=妄想=変態】

          ショートショート 1分間の国 ◎【おばあさんと黒髪】

           50年ほど前は新興住宅地だったという私の実家界隈も、いまやほとんどが代替わりするかまったく別の人に持ち主が変わるかして当時の面影が消えつつある。  そのなかで実家の東側の小路を挟んで両側50メートルほどに並ぶ家々には初代の方々が残っていて、私はここを未亡人通りと呼んでいる。ほとんどのみなさんが夫を亡くされて、当主はおばあさん、そして一人暮らしである。 「佐々木さん、昨日だか一昨日だか病院へいってきたらしいわよ」 「あら」 「眼が悪くて、白内障だったんですって」  

          ショートショート 1分間の国 ◎【おばあさんと黒髪】