“キックの鬼” 沢村忠の死と1冊の本〜「沢村忠に真空を飛ばせた男」

キックボクサー、“キックの鬼”こと沢村忠の訃報が4月初に流れた。今年に入り、「沢村忠に真空を飛ばせた男ー昭和のプロモーター・野口修 評伝」を読み始めていたが、読むペースは遅かった。このニュースを機に、500ページを超えるこの本を読み切った。

TVでキックボクシング中継が始まったのは1968年だが、小学生の私にとって認知度がアップしたのは1970年開始のアニメ「キックの鬼」の開始からだろう。9歳の頃だ。アニメの主題歌は今でも耳に残る。そして、アニメと実際の試合中継が並行してTVで流れる。当時の盛り上がりが想像できる。

その中心となるスターが、沢村忠である。一世を風靡し、1973年には日本プロスポーツ大賞を受賞する。ちなみにこの年、王貞治は3冠王を獲得している。そんな王を退けての受賞である。しかし、キックボクシングの人気は低下し、子供の私も興味を失い、知らないうちに沢村忠は姿を消していた。

そんな沢村を気に掛けることもなく、私は格闘技においては引き続きプロレスを観つつ、アントニオ猪木の展開する異種格闘技戦を注目するようになる。

この本には、なぜキックボクシングが生まれたか、なぜその人気が衰退したのか、なぜ沢村忠は消えたのか、その裏側が克明に記されている。

ただし、この本は沢村忠の評伝ではなく、そのプロモーター野口修の評伝である。沢村は、本の半ばまで登場せず、それは当然である。沢村はプロモーター野口にとっては一部でしかない。

野口修とはどのような人物か。著者は取材を重ねた野口本人が望んだ「伝記」としての像を書いている。それを要約すると、「拳闘と右翼の世界で名を成した父に育てられ、ボクシングの世界に殴り込み、革新的な施策を打ち出した。一方で、タイ式ボクシングと大山倍達道場との対抗戦を実現させ、余勢をかってキックボクシングを立ち上げ、沢村忠を擁して一時代を築く。さらに、芸能界に進出。五木ひろしを世に送り出し、『日本レコード大賞』を獲得」

補足すると、ボクシングにおいてプッシュしたのが、三迫仁志。世界チャンピオンにはなれなかったが、後に輪島功一など世界チャンピオンを輩出する三迫ジムを運営する。また、五木ひろしをスターにした、「よこはま・たそがれ」の作詞家で直木賞作家、また銀座のクラブ「姫」の経営者であった山口洋子と野口は内縁関係にあった。

と書くと、華やかなサクセスストーリーのようだが、この本は「伝記」ではなく、“ノンフィクション”である。そこには生身の人間と、その感情や欲望が流れる。

野口修という魅力的な人物に焦点を当てた、極めて面白い昭和の興行史である。上に書かれたことに少しでも興味を覚えた方は、読んで欲しい。

それに加えて、著者の細田昌志が10年という時を費やし、真実を追求する執念の記録でもある。途中からは、著者と共に取材を擬似体験しているようにも感じる。“ノンフィクション”を書くことの凄さを感じさせてくれる作品でもある。

サポートした水道橋博士、書籍化した新潮社も偉い!

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