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10月の「月イチ歌舞伎」〜“ふるあめりかに袖はぬらさじ“

松竹は、「月イチ歌舞伎」と称して、月替わりで名作歌舞伎を映画館で上映している。今月は、坂東玉三郎主演の「ふるあめりかに袖はぬらさじ」である。(10月28日まで上映)追記 上映期間を延長した劇場があります

有吉佐和子が自身の短編小説「亀遊の死」(新潮文庫「三婆」所収)。芸者お園のモノローグで描かれた小説を、文学座の杉村春子にあてて舞台化した。その後、玉三郎が受け継ぎ、上演を重ね、2007年には歌舞伎として豪華な配役で歌舞伎座の公演にかけられた。その舞台を、シネマ歌舞伎に仕立てたのが本作。

私は、2003年に藤山直美主演、玉三郎演出の舞台を新橋演舞場で見たのだが、これがいたく面白く、是非に玉三郎自身の主演で観たいと思っていたが、この歌舞伎座公演を見逃している。(思い返せば、家の新築の最終段階、そんなさなか、2度目のロンドン赴任を命じられた頃。とても、のんきに感激という状況ではなかった)今回、シネマ歌舞伎という形ではあるが、ようやく観ることができた。

時は幕末、横浜の遊郭、病弱の花魁、亀遊(きゆうー中村七之助)を気遣う芸者お園(玉三郎)、亀遊と道ならぬ恋仲となった通訳の藤吉(中村獅童)を中心に舞台は動き出す。当時、外国人向けの遊女は“唐人口“として、一般の遊女とは区別されていた。ところが、亀遊は“唐人口“ではないものの異人客イルウスに見そめられる。

イルウスは強引に交渉、妓楼の主人(中村勘三郎)は金に目が眩み、亀遊を売り渡すことに。そんな話が進む間に、亀遊は自ら命を絶つ。尊王攘夷の嵐が吹き荒れる中、亀遊は「攘夷女郎」として神格化され、その運命は死後においても時代に翻弄される。そして、生きるお園らも、その騒ぎに巻き込まれていく。

本当によくできた芝居である。舞台の基本的なトーンはお園を中心として回る喜劇であって、有吉の台本を達者な役者陣が生き生きと具現化する。観劇というエンターテイメントを体験させる一方で、その裏側には深いものが流れており、ズンと心に残るものがある。

攘夷をとなえる志士と、お園のやりとりを見ながら、有吉佐和子の痛烈な男性批判を感じた。それと同時に、男たちに振り回される女性を描いている。

上演当時のインタビューで玉三郎は、この作品を廓の中に閉じ込められ<外に行けない女の物語>と語る。さらに、開国の是非を命がけ争っていた男達は、そんなこと<どちらでも良くなってしまう>。その事を<女の方が先に知っている>のだが、<どんなに苦しくても本音と建前をきちんとわきまえて、廓で商売をしていきます>と語っている。

玉三郎の演技はもちろん圧巻である。そして、妓楼の主人役の勘三郎の上手さ、攘夷の志士役の坂東三津五郎の味のある芝居。2人の早すぎる死は、歌舞伎界の大損失であったことを改めて感じた。

まぁ無いものねだりしても仕方ない、この舞台を美しい映像で残してくれていることに感謝しよう


献立日記(2021/10/25)
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