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旅の記憶25〜ウィンブルドンが始まった(その3)

(承前)

当日行列する以外に、ウィンブルドン選手権のチケット入手方法はないのか。

一番の王道は、抽選に申し込むことである。毎年、秋になると翌年のチケットの一般抽選受付が始まる。今も変わらないと思うが、大会何日目という指定はできず、とにかく来年のウィンブルドンのチケットを希望する旨、申し込む。

幸運にも当たった人には、連絡が届く。そこには、大会X日目が当たりましたとあり、購入したければお金を払い、行きたくなければキャンセル〜コストは発生しない。

私は、1997年から毎年のように申し込んだが、流石になかなか当たらない。それでも、2001年のチケットが当たった。見ると、大会2週目のセンターコート。通常であれば、女子の準決勝が組まれるはずである。

当時のウィンブルドンの男子シングルスは、ピート・サンプラスの黄金期。1993-95、そして1997-2000年は四連覇を果たしていた。つまり、サーブ&ボレーの全盛期で、観客としてはつまらない。その点、女子はタレントが揃っており、女子準決勝は最高である。

当日、センターコートの指定された席に行くと、審判席の斜め後ろ、かなり前方の席である。そして、カードは、第1試合がジャスティン・エナン(ベルギー)vs 2001年は全豪・全仏優勝のジェニファー・カプリアティ(米)、第2試合はディフェンディング・チャンピオンのビーナス・ウィリアムス vs 99年の優勝者リンゼイ・ダヴェンポート(米)という前年の決勝の再戦となった。

両試合ともフルセットの熱戦となり、大いにテニスを堪能した。尾籠な話だが、トイレに行った時、背が高くガタイの大きな人物と遭遇した。よく見ると、ウィリアムス姉妹の父、リチャードさんだった。

ちなみに、エナンとビーナスが決勝に進み、ビーナスが2連覇を果たす。また、翌2002年、2003年決勝は2年連続の姉妹対決となり、いずれもセリーナが勝利する。

抽選以外には、大会中にキャンセルされたチケットの再販がネット経由でなされる。これを小まめにチェックして、何度かセンターコートの好カードを観ることができた。その、最大のハイライトは、2008年の男子シングルス決勝だった。

前日、幸運にも家族全員分4枚のチケットを入手し、ロジャー・フェデラーとラファエル・ナダルの決勝に向かった。3年連続の対決、2006ー2007年はフェデラーが勝利、フェデラーは五連覇中だった。

これが歴史に残る死闘となった。神業のようなストロークを、それをさらに上回る技術で跳ね返す。信じられないようなショットの連続だった。ナダルが2セット先取し、ついにナダルの優勝かと思われたが、フェデラーが第3・4セットをマッチポイントもしのぎながら、タイブレークでものにし、最終セットにもつれ込む。さらにドラマを盛り上げるかのように、雨による中断が数回入る。その為、試合開始からは7時間超え(正味プレー時間でも5時間弱)、日没順延直前の21時過ぎに決着がついた。

歴史的な試合を目撃したのだが、予想を大幅に超える試合時間に問題が発生した。夜、長女に外せない予定があり、試合を最後まで見届けることなく、妻と長女が離脱した。当時、2人の娘は寄宿舎に入っていたが、その関係もあり私と次女もやむなく離脱。試合の続きと結末は車の中でラジオで聞くことになった。

残念ではあったが、今となってはウィンブルドンの良き思い出である。

なお、今年のウィンブルドン本戦は、ロンドンで一緒に仕事をした一つ上の先輩の娘さんが、女子シングルスとダブルスに初出場した。素晴らしい快挙である。親子で頑張って来たのを見ていたので、感激ひとしおだった


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