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旅の記憶19〜フランシスコ・タレガと「アルハンブラの思い出」

秋である。ここ数日は暖かいが、季節は確実に寒さに向かっている。秋晴れの下、歩き始めるのに何か良いBGMをと思って浮かんだのが、タレガのギター曲「アルハンブラの思い出」だった。特に秋をテーマにした作品ではないが、冒頭の少し淋しげなトレモロが秋から冬に変わっていく季節を感じさせる。そして、曲は晴れやかな曲調に変化し、真っ青な秋空の下、開放感が広がる。

2001-2年の頃だったと思う。家族でアルハンブラ宮殿を観光した。セビリアからスタートし、スペインのアンダルシア地方を周遊、そのハイライトがアルハンブラ宮殿だった。

当時、駐在員家族の中で、スペイン旅行の失敗談としてアルハンブラ入場できなかった事件の話題がよく出ていた。宮殿のコンディションを保つため、1日の入場者数を制限しており、ハイシーズンは予約が必須である。それを知らずに行った家族が、宮殿までたどり着くも入場できなかったという悲劇である。そして、大抵はご主人の責任となる。

我々が行ったのも、夏休みのハイシーズンだったので、しっかり予約をして現地に赴いた。宮殿はグラナダ市にあり、“アルハンブラ”とはアラビア語で赤い城という意味である。その名の通り、防衛上の観点から市の中心、丘の上にある。まさしく、グラナダのシンボルである。

スペインやポルトガルが位置するイベリア半島は、8世紀からイスラム勢力に支配されており、アルハンブラの歴史も9世紀ごろから始まっている。一方で、キリスト教勢力は国土回復運動、“レコンキスタ”を展開し、 13世紀には領土を回復、残されたのはアルハンブラ宮殿を中心とするグラナダ王国(ナスル朝)のみとなった。

そして、今アルハンブラ宮殿として見学できる部分の大層は、14世紀に建造されたものであり、生き残った存在として、イベリア半島における最後のイスラム文化の華を見せてくれる。素晴らしい装飾をほどこされたハーレムなどの部屋、美しい中庭、往時を忍ばせる建造物、見どころ満載だった。

こうした物理的な存在とともに、アルハンブラには、欧州大陸におけるイスラム文化の終焉という、何か物悲しい空気が支配しているように感じる。15世紀末にグラナダは陥落するのだが、悲劇の舞台になったであろう宮殿は、見物客にその栄華と終焉を追体験させる魅力があるように思う。

夕暮れ時、アルハンブラの北に位置するサン・ニコラス展望台に上がる。徐々に沈む太陽に照らされて、宮殿の色が変化していく。そして文字通り”赤い城”という姿になる。

このようなアルハンブラに刺激され、タレガは「アルハンブラの思い出」を作曲し、ワシントン・アービングは「アルハンブラ物語」を書いたのだった


ちなみに、「アルハンブラの思い出」は、アンドレス・セゴビアナルシソ・イエペス村治佳織の演奏で聞いた。主旋律のトレモロを少し引っ込んだ感じで演奏するセゴビアが、その日の私の気分にはマッチしていた


献立日記(2021/11/5)
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