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日本語は美しくあって欲しい〜月亭可朝「嘆きのボイン」をめぐる冒険

11月12日、ラジオ日本等で放送された「タブレット純 音楽の黄金時代」は、300回記念で高田文夫がスペシャルゲスト。11月18日まではradikoで聴けると思うので、タイムリーにこれをご覧になった昭和歌謡ファンの方は、こんな駄文は放っておいて、すぐに聴いてほしい。人の番組のせいもあってか、高田先生が爆発・暴走している。(YouTubeにUpされていたものも発見↓)

放送された曲も、嬉しいものばかりだったが、その中でも月亭可朝「嘆きのボイン」(2017バージョン)には思わず喝采した。1969年発表のこの曲は大ヒットを記録、大阪中の小学生が、「♫ ボインは〜赤ちゃんが吸うためにあるんやで〜お父ちゃんのもんと違うのんやで〜♫」と歌った。私ももちろん、その一人である。

番組で流れた、伊東ゆかり「小指の思い出」(1967年)に始まり、奥村チヨ「恋の奴隷」(1969年)などの際どい歌謡曲は、意味はわからないのだが子供心の琴線に触れた。しかし、それらは秘められたイメージがあったが、ついに心から解放されたのが「嘆きのボイン」であった。

放送の中で、高田先生は“ボイン“という言葉の語源について話していた。大橋巨泉がホストを務めた番組「11PM」。パートナーの一人が朝丘雪路(津川雅彦の奥様)で、彼女の豊満な胸を称して、巨泉が“ボイン“と呼んだ“。ジャズの司会者をルーツとする、巨泉らしい軽く品のある表現だと思う。

可朝は、さらに言葉の幅を広げる。 「♫ おっきいのがボインなら〜ちっちゃいのはコインやで〜もっとちっちゃいのはナインやで〜♫」。

何十年かぶりに「嘆きのボイン」を聴いて、コインーナインという表現があったことを思い出した。ボインも含め、今やほとんど死語である。

念のため、辞書を調べてみた。“ぼいん“はひらがな表記で、「日本国語大辞典」「広辞苑」、最新の「新明解国語辞典(第八版)」全てに掲載されている。なお語釈は<女性の乳房が豊かなさま>(広辞苑)の類だが、新明解だけは、カッコ付きではあるものの、<(若い女性の)>が加えられており、新解さんのこだわりが感じられる。

他方、“コイン“、“ナイン“は気配も感じられず、可朝の努力虚しく普及までには至らなかったようだ。“ボイン“も含めて、日常生活で使うことはない。

そして、いつの頃か“ボイン“にとって代わったのが“巨乳“である。“ボイン“に比べると、なんとも直裁的で下品な表現である。日本語はこうして美しさを失っていく。さて辞書の判定はどうだろう。「日本国語大辞典」、掲載されていない。「広辞苑」(第七版)、なんと掲載されている。さて「新明解」はどうだろう。まさか、<ぼいんでは表現しきれない、より大きな乳房>とか書いてないように祈る。“きょとんと“、“ぎょにく(魚肉)“、続く見出は“きょにんか(許認可)“。やったー、不採用。やはり、新解さんも、日本語の美しさを保っている。一般的には最も権威があると言える「広辞苑」には猛省を促したい。

百歩譲って、“巨乳“を許したとしても、けしからんのは“ナイン“に対応する言葉である。普及はしなかったが、“ナイン“にはとても奥ゆかしい、雅な感じすらある。ところが、登場した言葉は“貧乳“である。広辞苑によると“貧“とは、<まずしいこと。財産や収入のすくないこと>である。こんな侮辱的な表現が許されるのだろうか。

辞書にあたってみよう。安心した。三つの辞書は全て“貧乳“を採用していない。さすが、日本の知性は品性の乏しい表現を否定している。が、しかーし、大修館書店の「明鏡国語辞典(第二版)」は掲載しているではないか。しかも語釈の中に<↔︎巨乳>とわざわざ、反対語として両者を掲載している。

日本語は知性が重なり形成された美しい言葉である。もっと大事にして欲しい



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