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「カムイ伝」をどう表現すればよいのか(その2)〜「白土三平伝 カムイ伝の真実」

(承前)

ようやく、読み始めた「カムイ伝」シリーズだが、進むにつれて何かの助けが必要に感じた。そんな時に、見つけたのが毛利甚八が書いた「白土三平伝 カムイ伝の真実」だった。

マスコミ嫌いの白土三平に寄り添いながら書かれた「白土三平伝」は、白土作品を読み解く上での、重要な参考書である。

白土三平は、三部作となる予定であった「カムイ伝」を完成させることなくこの世を去った。残念ではあるが、それこそライフワークというものではないかとも思う。白土三平が生涯をかけて書いた作品は、作者自身を投影するものであって、それはその死をもって完成する。つまり、死ぬまで完成しない。本人はいなくなっても、作品は生き続け、成長し続ける。どのように成長するのか、それを考える一つの手がかりが、「白土三平伝 カムイ伝の真実」ではないかと思う。

毛利は同書の序文で、「カムイ伝」を描き始めた白土は三十二歳で、第二部の終了時には六十八歳であったことに触れ、作者の<精神は生き続けるなかで変容していくし、その眼は人生体験を積み増し、世界をより複雑にとらえるようになっていく>と書く。

白土は<作家の変容を作品に定着していった>、そして白土本人から逸話を聞いた立場として、<「カムイ伝」は白土三平の思考の実験室だった>と定義する。

「カムイ伝」を読んでいると、そのダイナミズムに翻弄される。“先が読めない“という表現があるが、「カムイ伝」は作品自体が生きており、成長を続ける。読書はその姿を必死で追い続けるしかない。

なお、「カムイ伝」は白土が立ち上げた赤目プロダクションによって制作され、下絵とペン入れを小島剛夕(後に「子連れ狼」でブレーク)が担当、第一部途中で小島が独立・離脱し、その後は白土の弟岡本鉄二らが担当する。こうした背景と、物語の展開が相まって、「カムイ伝」の絵も変容し続ける。

本書は、白土三平からの人生を、本人からの聞書をもとに構成する。白土の父は、画家の岡本唐貴、プロレタリア美術運動の中心人物でもあった。白土は昭和七年に生まれるが、父親は再三、逮捕・留置・拷問を受けていた。こうした背景が、「カムイ伝」に色濃く反映されている。

ただし、「カムイ伝」がこうした出自を反映した、江戸時代における階級闘争の物語だけにはとどまらない。

作品の持つ様々な軸の一つが自然である。「カムイ伝」には執拗なほど自然や動物が登場すし、白土は自然を相手として生活する人々と交流する姿を紹介する。それどころか、猿の生態も詳しく描写される。人間は自然と同居する以外に生きる道はない、また動物の社会は人間のそれに通じるものがある。その事を、白土は表現している。

毛利は、第二部に登場し、青山美濃守の小姓から、四代将軍・家綱の教師役にまでなる美少年、宮城音弥についてページを割いている。<カムイや(下人の)正助に託されていた前の追求や激しい闘いといった世界のとらえ方ではなくて、音弥は江戸の文化や複雑な権力の内部を嵐のような軽やかさで遊覧していく。いうまでもなく音弥は、白土三平の視野の広がりを証明しているのである>。

「カムイ伝全集」発刊を控えて、毛利は白土から第三部の構想について聞き出そうとする。詳細に触れないまま、白土はこう語る。

<「いま、若者たちがテロで何かに抵抗しようとしているけれど、こういう世界になって明るい未来というものを簡単には口にできないと思うんだ」「あなたたちは自分の子どもたちにどんな未来を約束できると考えているの?」>

毛利は、<これが二十一世紀にカムイが求める究極のテーマである>と書く。

また、毛利は<「カムイ伝」を若者が読むために>という、「攻略法」のようなものも載せており、私が次に読む際は、これに沿ってみようかと思う。いつになるか分からないが。

「白土三平伝」の刊行は2011年、毛利甚八はマンガ「家裁の人」の原作者としても有名である。残念ながら、白土に先立ち2015年に他界している。五十七歳の若さであった。

彼が生きていたら、第三部について様々な示唆を発信のではと想像すると、残念である。今ごろは、天国で白土と共に第三部に寄り添っていることだろう


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