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圓生は六代目円楽に追贈できないのか〜流れつくべきだ

六代目三遊亭円楽(以下、円楽)が鬼籍に入ったのが昨年の九月、来月には「笑点」の新メンバーが発表になるようだ。(そのことについては、既に記事にした)

円楽が亡くなった際に買っていた、彼の著書「流されて円楽に 流れ着くか圓生に」をようやく読んだ。

“流されて円楽に“は、彼の入門までの生い立ち、入門してから円楽襲名までのエピソードである。私は、楽太郎時代の高座、円楽襲名後は「新宿末廣亭」に客演した際に観た程度で、熱心なファンではない。そのこともあって、知らない話が沢山あった。

青山学院大学卒ということもあり、スマートなイメージがあったのだが、円楽は東京の下町、裕福とは言えない家庭で育った。<貧しい人たちばかりのご近所の中でも、ウチは一番貧しい方だったかもしれない>と書かれている。

そのせいもあって、小さい頃からたくましく自分の力でお金を稼いだ。こうした生活力と、天性の明るさが、後の“ジジ殺し“を形成していったのだろう。円楽は、師匠の五代目圓楽のみならず、立川談志、金原亭馬生などなど、名だたる名人を籠絡していく。そして、師匠に背中を押されるように、六代目円楽を襲名する。なお、五代目は圓楽だが、<俺の場合は思うところあり、“円“の字を使って円楽と名乗っている>。

そして、“流れつくか圓生に“である。圓生襲名問題については、三遊亭円丈著「師匠 御乱心!」に絡んで以前に書いたが、再度触れる。


三遊亭圓生は、三遊亭の宗家と言え、対する柳派の柳家小さんという名跡と並び称される。六代目圓生は昭和の名人として天皇陛下の御前で落語を演じるなど、同じく名人と称された桂文楽・古今亭志ん生とは一味違った存在となる。円楽はその孫弟子である。

細かいことは省くが、その圓生は落語協会と袂を分かち、その一門は寄席から締め出される。その波をもろにかぶったのが円楽の世代であり、そのことが円楽の落語家人生に大いに影響を与えたと思われる。

円楽は大師匠、そして師匠の先代圓楽が残した負の遺産(円楽は当然“負の遺産“とは言っていない)を、解消すべく動いたーのだと思う。ただし、一門の視点ではなく、落語界全体の観点からだ。

それは、円楽がプロデュースした、“博多・天神落語まつり“という形で具現化する。博多という、東京の寄席に気兼ねすることなく興行が打てる場所で、東京の落語協会・落語芸術協会・円楽一門、立川流という枠組みのみならず、上方の落語界も巻き込んでの、オール日本落語家によるイベントである。円楽の存在、そして彼の使命感がなければ実現・継続しなかったであろう。

改めて、円楽の音源を聴いた。「浜野矩髄(のりゆき)」「一文笛」「ねずみ」、いずれも結構な口演である。本寸法で、お手本のようで、芸人のエゴが感じられないのだ。それが円楽という落語家で、それ故に、落語界の接着剤のように機能したのではないかと感じた。

圓生という落語界にとって重要な名跡は、次の世代に繋がなければならない。歴史的にいかに重要でも、現役でなければ、それは歴史的な存在になってしまう。残念ながら、円楽は鬼籍に入ったが、彼の死を無駄にしないためにも七代目圓生を追贈してはどうだろうか。

今後、落語界がどう流れてゆくかは分からないが、円楽の残したレガシーは大きい。その芸と落語の為に尽くした功績を讃え、圓生を送り、“円楽の圓生“を作り追善興行を打つ。若い落語ファンにも圓生という名跡を頭に刻んでおけば、いつの日か八代目圓生の誕生につながるのではないだろうか。

一落語ファンの戯言だが、書き記しておきたかった



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