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なぜかハワイにいる(その2)〜50年ぶりのアリゾナ記念館

(承前)

ハワイの初日は、会社のミーティングとパーティー。2日目は全日フリーである。

今回のハワイで訪れたいところがあった。パールハーバーである。私は50年前の1973年、11歳の時に初めてハワイに来た。その時のことは、また改めて記録したいと思うが、訪れた場所の一つがパールハーバーだった。

詳しいことは覚えていないのだが、アリゾナ記念館は記憶の中にあり、その写真などが含まれたブックレットをお土産に買って帰った。そこにもう一度訪れたかったのだ。

1941年12月7日の朝7時50分、日本軍は真珠湾に奇襲攻撃をしかける。アリゾナ号はその際に沈没した船の一つで、船体はいまだ海に沈んでおり、戦死者の追悼、平和への願いを込めて、船体の上方に白い記念館が作られた。

パールハーバー観光の拠点は、パールハーバー・ヴィジター・センターだが、アリゾナ記念館へはそこからボードで行く。当日券に並ぶか、事前に予約をするか。私は朝8:45に予約しており、現地には7時過ぎには着いた。

記念館に行く前に、「Road To War」「Attack」という2つのギャラリーがあり、太平洋戦争突入前での世界の状況などを知ることができる。 入り口に、<アジアにおいて日本とアメリカが国益を追求しようとした>、<両者ともその為の行動を開始し、真珠湾における衝突へとつながる>と書かれている。両文の間に、<両者とも戦争を避けたいと望んでいた>とあるのが印象的だった。

また、Sadakoという名の日本人女性の作った千羽鶴が飾られている。彼女は被爆者で、平和を願い千羽鶴を作り、各地に届けたそうである。その一つが、それである。

アリゾナ記念館に渡る。隣に見える戦艦は"ミズーリ“。記念館からは、朽ち果てて沈んだ船が見える。両側の海面から少し頭を出しているのは、砲門の土台である。

アリゾナの沈没により、その船員1177人が死亡、多くは今だ水中の船体の中にある。この記念館には彼らの名前が刻まれた碑があり追悼すると共に、全てのアメリカ軍人の死を悼み、世界の平和を願っている。

朝早くから、多くのアメリカ人観光客が訪れている。私の乗ったボートには日本人はいなかったと思う。一人なのも私だけだったと思う。アメリカ人は日本人の真珠湾攻撃を、アリゾナを始めとして破壊され、それと共に多くの人が命を失った。

アリゾナは太平洋戦争開戦の象徴である。15分の滞在を終え、ヴィジター・センターに戻った私は、次なる施設、戦艦ミズーリへと向かった。今度は終戦の象徴である




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