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副汐健宇の戯曲易珍道中⑪~ソポクレス『アンティゴネ』〜


2023年明けましておめでとうございます💦💦💦
大変お待たせ致しました。お待たせし過ぎてお待たせし過ぎてしまったかも知れません。私の投稿を、雨のように待ってた水天需(☵☰)の如き人なんていないか・・・
と、仄かな愚痴をこぼしつつ・・・

昨今、近代?のテレビドラマの脚本を取り上げていたように思い、次は、クラシカルな戯曲の(周易を使った)解体を模索し、その読解が、火雷噬嗑(からいぜいごう=☲☳)の噛み砕くべき壁の如く強敵で、ウロウロしていたら、これ程までに時間がかかってしまった、と、雷天大壮(☳☰)な言い訳をさせて頂く次第です。

今回は、満を持して???クラシックもクラシック、
古代ギリシャ三大悲劇詩人の一人、ソポクレスが遺した戯曲

『アンティゴネ』に分不相応も甚だしいながら、挑んでみたいと思います。

引用文献:『オイディプス王・アンティゴネ』(新潮文庫)
           ソポクレス(福田恆存:訳)

信念を曲げない一人の女性が、それを剣の如く振りかざした故に巻き起こる悲劇が丹念に描かれています。葛藤に次ぐ葛藤が、きちんとセリフを伴って露呈されています。

この壮大な信念が貫かれた戯曲に、易経を通して挑まれた方が、約10年前にいらっしゃいます。

現・日本銀行副総裁の、氷見野良三氏です。
氏は、『易経入門〜孔子がギリシア悲劇を読んだら〜』(文春新書)という、易経の卦辞爻辞とギリシア悲劇のドラマツルギーを掛け合わせるという、当然ですが、私なんぞよりも遥かにドッシリとした重厚感に満ちた試みに浸っていらっしゃいます。

氏は、私のように一つ一つのシーンを六十四卦に当てはめるという七面倒くさい事は行わず、登場人物を六人に絞り、彼等を状況や立場からどの爻かを割り振り、彼等を陰か陽かに分け、物語そのものを象徴する六十四卦を見て、易経とギリシア悲劇・・・・・・東洋と西洋の共通点を探る、という斬新な手法を取っていらっしゃいます。アイスキュロスでは登場人物が六人に満たないものも多く、逆にシェイクスピア劇では多過ぎる。六十四卦を割り振る上で、ソポクレスの物語が一番六人に絞りやすいという事でした。

氷見野氏の知友からは、「呆れて途中で読むのを止めた」と言われ、他の方からは、「お得意の易経で今後の日本を占ってみろ」とからかわれる等、散々な目に遭っていらっしゃったようですが、少しでも易経、周易に触れ、その奥深さに感嘆している私のような者、そして「占いは、今後の自身の方針を指し示す為のツールの一つに過ぎない」と悟っていらっしゃる方には、存分に血肉になるような、必読の書と、『易経入門〜』は断じても過言では無いです。

内容は、実際に本書に触れて頂くしかないのですが、

氷見野氏は、『アンティゴネ』に対して、
     風水渙(ふうすいかん)
        ☴
        ☵
「渙は散ずるなり。人心散じて合わず、事権散じて振わざるは、皆是れなり。」
・・・何故に、風水渙なのか、それは実際に本書を手に取って頂けたら、(投げやりで大変恐縮ですが)と思います。
私は、相変わらず、一つ一つのシーンに粘り強く六十四卦を検討し、周易や易経を学び始めた方のご参考資料の一つになり得るものをしっかり提供して行く事を目指します。

■大まかなストーリー
オイディプスの死後、二人の息子、兄ポリュネイケスと弟は、父の呪い通り、共に刺し違えて死ぬ。兄弟が死に、敵の軍勢が引き揚げ、王位にはクレオンが就く。新王は、国を守った弟を丁重に埋葬しようとするが、外国に通じた兄の方には哀悼も寄せず埋葬もせず、野ざらしにしようとする。それを知った先王の二人の娘、姉アンティゴネと妹イスメネ。アンティゴネは兄の遺骸を埋葬に行こうと妹を誘うが、イスメネは権力には逆らえないと拒む。アンティゴネは、一人になってでも、兄を埋葬しようと決意する。新王に召集された長老達は、布告を支持するよう新王に言われるが、長老達はどこか歯切れが悪い。そこへ、遺骸の番人をしていた者がアンティゴネを連れて来る。アンティゴネは、王の定めた掟には、神の掟を凌駕する力は無いと伝えるが、王は、ならば来世で死者を愛せと彼女に死罪を宣告する。
 しかし、預言者に不吉な事を言われ、王は動揺し、死者の埋葬とアンティゴネの放免を決意する。埋葬しようと洞窟に辿り着くと、中に王の息子・ハイモンの叫び声が響いて来るのが聞こえる。洞窟の入り口を覗くと、アンティゴネが首をくくってぶら下がっている。ハイモンはそんな彼女を抱きかかえている。ハイモンは父王に切りかかるが、失敗する。途端に彼は自らの脇腹を突いて果てる。息子の死の知らせが王宮に届く。王后は夫を呪い、王宮の祭壇に向かって自刃するのであった・・・・・・。

■プロローグ
111ページより引用

アンティゴネ 何ということでしょう。クレオンの仕打ちと来たら、戦死した私たちのお兄様のうち一人には栄えある葬儀を行い、もう一人は葬ることさえ許さないなんて、ああ、そんなことが!

112〜113ページより引用
イスメネ ポリュネイケスを葬ってあげようというのね―――テバイの掟に触れるのを承知の上で?
アンティゴネ 私は自分のなすべきことをするだけ―――それがまたあなたのなすべきことだもの、たとえどんなに厭(いや)であろうと―――二人にとっては兄ですもの。私は不実な妹などと言われたくはない。
イスメネ ああ、大逸れたことを! クレオンが禁じているのに。
アンティゴネ ええ、あの人にだって、私が自分の身内に会うのを止める権利はないはずよ。

115ページより引用
イスメネ あなたの心はそうして火のように燃え上るのね、氷のような冷たいものに。

116〜121ページより引用
  アンティゴネは下手に、イスメネは館に、それぞれ退場。入れ替りにテ
  バイの長老たちよりなるコーラスが入って来る。

  入場のコーラス
 
―省略―

コーラス その鷲はわれらの屋根の上を飛び廻り、血に飢えた槍の如き嘴(くちばし)で七つの門を荒したかと思うと、やがて早々して立ち去った、お蔭でその顎(あぎと)にわれらの血を吸わせる暇(いとま)もなく、町を取りまく城の櫓(やぐら)も、松明の吐く焔(ほのお)の贄(に)えとならずに済んだ。
―省略―

コーラス その男は狂気のごとく物に憑かれ、吐く息、吸う息もすさまじく、あたかも嵐もかくやと思うばかり、それが、ゼウスの御手(みて)により、見事、大地に打ち落され、燃ゆる松明を手にして、しばしその場に横になったままだった。

―省略―

⇧  上記のセリフの応酬、焔、松明、火、氷・・・まるで、六十四卦を当てはめて欲しいと言わんばかりです。
 その気持ち??に、捻くれる事無く素直に応えたく思います。

       火水未済の六五
         (かすいみさい)

            ☲
            ☵

「六五は、貞しければ吉にして悔なし。君子の光あり。孚ありて吉なり。」
新王クレオンから見た兄弟は、まさに
陽の当たる場所=兄、陰でうごめく場所=弟、という観点から見ますと、
外卦が兄、内卦が弟、という事になるでしょう。
兄弟の陰陽が相反、表裏一体し、兄は華やかな離(☲)、弟は深い穴の中、坎(☵)とも読めます。一方で、六五(五爻)は中を得ている、文明中庸の徳があり、九二の中庸と応じている・・・王が自戒を込めて、中庸の徳を持って、冷静に世を見渡していたら、このような未熟な、火水未済そのものな展開にはならず、また違った陰陽が展開していたに違い無いのです。もっと穏やかな、砂の巻き上がる事も無い世界が拡がっていたに違い無いのです。はじめに当てはめる卦として、これ程にお似合いの卦は無いでしょう。

コーラスの長 おお、待て、見るがよい、あそこにこの国の王、クレオンがおいでになる、神々の与えもうた運により、この国の新しい指導者になられたメノイケウスの御子息が。
―省略―

■第一部
  クレオンが二人の従者を伴い、王の衣服を着て、館より出て来る。

クレオン おお、待たせたな。神々はこの国を大海の荒波のごとく弄びはしたものの、これで漸(ようや)く昔ながらの平安を呼び戻したもうた。そこで全市民のうちから特にお前たちに集まってもらったわけだが

⇧   上記の卦は、
          沢地萃の上六
            (たくちすい)
     
             ☱
             ☷

「萃は、聚なり。順にして以て説(よろこ)び、剛中にして応ず、故に藂(あつ)まるなり。」
    沢水(☱)の地上(☷)に集まって物を潤す光景を表した卦です。井戸の周囲に人が集まり、水の恩恵を受け親しく潤って行く・・・。
   クレオンも、自身の地位を巧みに利用し、自身の憂慮潤してくれるような部下を集め、耳触りの良い言葉の数々を求めていたに違いないのです。
 しかし、クレオンは、そんな自身の願いに執着し、いささか中庸を見失い、潤いの欠けた熱に身勝手にうかされているように思えます。なので、沢地萃・・・実際に”集まった”事には違いないものの、あえて、”埒外の爻”である上六(上爻)を選びました。

  「上六は、齎咨(せいし)、涕洟(ていい)す。咎なし。」
上六は、親しむべき人が見つからず、その地位に安んじてしまう。その事で、嘆き悲しみ(齎咨)、鼻水も放出する程の涙を流す(涕洟)・・・自ら反省をすれば、その涙は緩むであろう・・・・・・。クレオンは、自身を戒め、上六を降りる事が出来るのでしょうか・・・・・・。

―省略―

(クレオン)
分ってくれような、これがこの都の栄光を守ってくれる決りなのだ。その決りに随(したが)い、今も今、私はオイディプスの二人の息子に関する布告を市民たちの上に出して来たところだ―――つまり、この国のために戦い、武勇の誉れ高きエテオクレス亡骸は丁重に葬り、最高の名誉ある死者を送るにふさわしい儀式を執り行うべきである。が、その弟のポリュネイケスの方だが、もともと国外を放浪中に、敵と手を組んで不意にわが国に襲い掛り、父祖の都を、またその神々を焼き払おうとし、身内の者の血を流し、あるいは奴隷にして連れ帰ろうとした男だ、それについては、皆にこう触れを出しておいた、即(すなわ)ち、何人(なんびと)といえども、この者を墓に葬ることも、またそのために涙することも許さぬ、むしろ野晒(のざら)しのまま捨ておき、屍は鳥や野犬に食(くら)わせ、世の見せしめにしてやるがよいと。

122ページより引用
  番卒、下手よりやって来る。
番卒 王様に申上げます、特別扱いで参ったために息切れがしているというわけではございません。途中、何度か立ち止り、いろいろと思い惑い、時には引き返そうとまで致しました。
―省略―

⇧ 上記の卦は、”立ち止り”が、やはり大きなキーワードになり得る。瞬間風速的に、

           水山蹇の六三
            (すいざんけん)
 
              ☵
              ☶

「象に曰く、山上に水あるは蹇なり。君子以て身に反りて徳を修む。」
   前方の猛吹雪(☵)に足を取られ、進めない。止まらざるを得ない(☶)。

  
 「九三は、往けば蹇(なや)み、来れば反る。」
    九三は、坎(☵)、そして艮(☶)の主爻であります。まさに、”悩んで立ち止まる”番卒そのものを軽やかに、厳かに表している卦であります。
”来れば反る”・・・クレオンの元に”来れば”救われると思った番卒。その淡い願いも立ち止まらざるを得なかったのか、それとも・・・・・・  

■第二部
134〜135ページより引用
クレオン (アンティゴネに)さあ、私に話して見るがよい―――多くは必要とせぬ、簡単に答えてみよ―――先の布告で、お前の行為は固く禁止されていることは知っていたろうな?
アンティゴネ 知っておりました。どうして知らずにおりましょう?あれは公のものでございますもの。
クレオン では、すべてを承知の上で、なおその掟を犯そうとしたのだな?
アンティゴネ ええ、もちろん。あのお触れを出したのは固(もと)よりゼウスの神ではございません。また、あの世の神々とともにいらっしゃる正義の女神ディケが、それを一つの掟として人の世に行き渡らせようなどとお考えになったものでもございません。それに私は夢にも考えませんでした。あなたのお出しになるお触れには私ども人間の思いも及ばぬ力が籠っていて、まさか文字には示しがたい神々の不滅の掟をも覆せるほどのものになるなどとは。


138〜144ページより引用
アンティゴネ 相手は兄弟です。奴隷とは違います。
クレオン 奴はこの国を滅ぼそうとした、ところが、一方はそれを守ろうとして斃(たお)れたのだ。
 
―省略―

 それに反し天に狙いを附けられた一族を見るがよい、その呪わしい運命は
 一代で終ることなく、その子、またその子へと及んでゆく。その様はあた
 かもトラキアの疾風(はやて)が暗い海の上を走り去る時のよう、風が深
 い海の底から黒い土砂を捲きあげ、陸地に迫り、その高潮を真表に受けた
 岬が陰気に呻(うめ)く。

 ライオス、オイディプスと、この一族の悲しみが、死者から死者へ受け継
 がれ、子の罪がまたその子を縛る、どこからも一筋の救いの光も射しては
 来ない。今もこの真暗な一族の館に残された最後の若木の上に仄(ほの)
 かに光が煌(きらめ)いたかに見えたが。その望みの綱も直ぐに黄泉の国
 の神々に、その斧に、断ち切られてしまった、それに手を貸す愚かな言葉
 と乱心。もうどこにも希望はない。

⇧ 上記の場面ですが、一筋の救いの光も射して来ない、というフレーズから、太陽(☲)が地上(☷)の下に隠れている、地火明夷(ちかめいい)、とも考えましたが、
   国を滅ぼそうとした者、と、それを守ろうとした者、のコントラストを明確に分ける為に・・・・・・・
       
             天地否の初六 
               (てんちひ)

                ☰
                ☷
「否は否塞、塞がって通ぜぬ事。陰陽相和せず、上下の意志の流通を欠く状態。」
   まさに、上昇する陽の気(☰)と下降する陰の気(☷)が疎通しない、噛み合わない、という状態の卦です。しかも、初六。一番下の位置にいて、しかも陰爻陽位・・・・・・。一番、陽光(☰)が届かない・・・・・・。
 「象に曰く、茅(ちがや)を抜く、貞なれば吉なりとは、志君に在ればなり。」

■第三部
145〜146ページより引用

コーラスの長 おお、あそこに、ハイモンがお見えになりました、御子息のうち一番年下に当られる・・・。
―省略―

   ハイモンが姿を現す。
―省略―

ハイモン 父上、私はあなたのものだ、あなたは常に立派な智慧を以て私を導いてくれ、私は進んでそれに随うでしょう。結婚についてもあなたの手引きにまさる相手は得られぬものと思っております。

⇧  クレオンの息子、ハイモンの、”父上”に吐露したセリフを無理やりに六十四卦で読み解きますと・・・・・・

           天山遯の六二
            (てんざんとん)

              ☰
              ☶
「遯は、亨る。小は貞なるに利ろし。」
    初爻、二爻の陰が長じ、陽(☰)が退避している様子を表した卦です。
 一見、”父上、私はあなたのものだ”と誓うハイモンは、一見、愛する女性よりも家族の目を選ぶ、偉くひよった男、現実から逃げている、という観点が透けて見えますが、六二の爻辞は・・・・・・
   「象に曰く、執(とら)うるに黄牛を用うとは、志を固くするなり。」
    陰を演じながら、密かにナイフを研いでいるハイモンの姿が見えるような爻辞だと思われます・・・・・・。


クレオン そのとおりだ、ハイモン、それを肝に銘じておくがいい
―省略―
クレオン よいか、ハイモン、一時(いっとき)の快楽の誘いに応じて女のために理性を遠ざけてはならぬ。

⇧   ”父上”クレオンの息子への格言は・・・・・・

          天風姤の九二
          (てんぷうこう)

              ☰
              ☴
「姤は壮(さか)んなり。女を取(めと)るに用うるなかれ。」
    男だけの世界(陽爻)に突然現れた女性(初爻の陰爻)、彼女に身近に警戒しているクレオンの様子が窺えます。
 「九二は、包(つと)に魚あり。咎なし。賓(ひん)に利ろしからず。」
   剛中の徳を持って初爻の陰に出会い、陰を押しとどめようとするクレオンの姿が目に見えるようです。 

154ページより引用

第三のコーラス
  正しい心を持った者も、お前のために心を歪められ、破滅の淵へと身を
  沈め、現にこの親しい一族の間にも血なまぐさい争いを掻き立てる。

■第四部
155〜156ページより引用
  アンティゴネ、次のせりふの間に館の中からクレオンの二人の従者に引
  立てられて出て来る。
コーラスの長 おお、あれを、私までが我慢の度を超えて、これ、このとお
り涙を抑えることももはや出来ない、それ、アンティゴネが婚礼の部屋に連れて行かれる、すべての者が静かに眠っているハデスの国へ。

アンティゴネ 私を見て、祖国の都の人たち、こうして死出の旅路を歩む私の姿を、これが最後、もう二度と日の光は見られない、ええ、すべての人に死の眠りを与える黄泉の国の神ハデスが、そこを流れている川アケロンの岸辺に、私をこうして生きながら連れて行く、花嫁を送る一片の讃歌(さんか)も無く、婚礼を寿(ことほ)ぐ歌も聞えず、私を妻に迎えてくれるのはただアケロンの暗い川の水だけ。

―省略―

アンティゴネ 誰も私のために泣いてはくれず、結婚を寿ぐ歌もなく、私はもはや一時も待ってはくれぬ旅に連れて行かれる。ああ、不幸な私、もう二度とあの太陽の浄(きよ)い瞳を仰ぎ見ることは出来ないのか、私の運命に涙を注いでくれる人もいず、一人の友も私のために歎いてはくれないのか。

⇧   上記のアンティゴネのセリフの数々に”血に飢えたもの”を感じました。
         地水師の九二
          (ちすいし)

            ☷
            ☵

「師は、貞なり。丈人なれば吉にして咎なし。」
  坎(☵)の道を行いながら、順(坤=☷)の徳を失わない、アンティゴネそのものを表した卦である事は間違いありませんが、地水師は一方で、地上(☷)の水(☵)が枯れている状態を表す卦でもあります。九二は、坎の主爻でもある。血、そのもので世界と対峙しようとしている。
  「九二は、師に在りて中す。吉にして咎なし。王三度命を錫(たま)う。」
   繊細な者達(五つの陰爻)を統率しながらも、受け身(☷)なだけで、決して涙も注いではくれない。共に戦ってはくれない・・・・・・。

■第五部
163〜167ページより引用
  テイレシアス、子供に手を引かれて出て来る。
クレオン おお、テイレシアス、老いの身も顧ず、ここまでやって来たのは、一体、どうしたというのだ?
テイレシアス それを今、言おう、あなたも予言者の言葉に耳を傾けるがよい。
クレオン もちろんだ、今までも、そなたの助言を軽んじた覚えは一度もない。
テイレシアス それ故にこそ、あなたはこの都の舵(かじ)を間違うことなく操って来られたのだ。
―省略―
テイレシアス それなら、今が正にその時だ、あなたは運命の鋭い刃の上を渡っている。
―省略―
テイレシアス (省略)例により、私はいつもの占いの場に坐っていた、そこにはあらゆる鳥どもが寄り集まって来るのだが、そのうち、その鳥どもが何とも知れぬ怪しげな声を挙げ始めたではないか、それは不吉な、しかも興奮に駆られた激しさで、たちまち鳥どもの言葉を訳の分らぬものにしてしまった。

―省略―

クレオン 老人、お前たち予言者は、誰もが俺に向って矢を放つ、それは弓を射る者が的に向った時と同じことだ

―省略―

クレオン うむ、予言者の輩はつねに金を好む者と相場が決っているからな。

⇧  ・・・上記のやり取りに、敢えて六十四卦を当てはめる事は控えます。予言者・・・・・・(占い師と予言者は似て非なるものなのですが・・・・・・その根拠は長めになるのでここでは差し控えさせて頂きます。)これらのクレオンのセリフは、占いを少しでも嗜む者としましては、目の痛む思いがする文章では無いでしょうか。”占い撲滅アベンジャーズ”な芸能人の方々からして見れば血の滴るような発言でしょう。ここは常に、戒めとして受け止めようと、敢えて記載致しました。一介の”アベンジャーズの埒外の者”として。

168ページより引用
テイレシアス では、これだけは知っておけ―――そうだ、十分にな―――天翔ける日輪の車が幾らもその道のりを駆け巡らぬうちに、あなたは自らの血に繋る者の一人を己が手で差し出(いだ)し、死に報いるには死をもってするという因果応報の理(ことわり)を、必ずや見せつけられよう、

172ページより引用
(第五のコーラス)

  パルソナスの山、かの双子峰の遥か高く、松明(たいまつ)の焔が煙を
  通して閃(ひらめ)く時、バッコスよ、御身は時折、その向うに姿を見
  せる、丁度その頃、麓(ふもと)のカスタリアの泉のほとりでは、御身
  の信奉者のニンフたちが舞いや踊りに夢中になっている。

■エピローグ
173ページ~174ページより引用
   従者が外から駆けて来る。
従者 (省略)世の人の暮しの有様を見るにつけ、それがどのようなものであれ、褒(ほ)めたり貶(けな)したり出来るほど、はっきり決ったものではございません。その日、その日の運の満ち退きがあるいは仕合わせな者を突き落し、あるいは不仕合せな者を持ち上げる、誰一人、その人の決められた生涯に何があるかを言い当てることなど出来はしません。

―省略―
コーラスの長 この王の一族について、お前はまたどのような新しい悲しみを伝えようというつもりか?
従者 死の悲しみを、しかも、死の罪は生きている者の上に。
コーラスの長 で、それは誰だ、殺したのは? そして殺されたのは? 早く言わぬか。
従者 王子ハイモンがお亡(なくな)りになりました、しかもその血を流したには決して他人ではございません。
コーラスの長 どういう意味だ? おお、父御か、それとも自らが?
従者 自らお果てなさいました。それも父上の罪をお憤りになって。
コーラスの長 おお、あの予言者が、では、その言葉どおりになったのか!
―省略―

175〜177ページより引用
  エウリュディケが館から出て来る。
エウリュディケ デバイの重だった方々、私が今、アテナの女神に祈りを捧げに参ろうと思い、外に出ようとしたところ、あなた方の話が聞こえて参りました。丁度、表戸の閂(かんぬき)をゆるめて開けようとした時、わが家に降りかかる不幸な禍いを告げる声が、私の耳に襲いかかり、その恐しさに思わず女どもの腕の中に倒れ、気を失ってしまいました。
従者 お后様、私はこの目で見たとおりのことをお伝え申上げましょう。すべてをありのままに。一時(いっとき)の気安めのため、直ぐに嘘と分るようなことを申上げたところでどうなるものでもございません。
―省略―
その辺りには今なおポリュネイケスの屍が無残にも犬に食いちぎられ、散らばっておりました。 
―省略―
 そうしてクレオン王が近づきますと、痛切な叫び声が風に乗って聞えて参りました。王は呻きを挙げ、苦痛に喘(あえ)ぐような声でこうおっしゃるではありませんか、
―省略―
 絶望的な王のお言いつけに随って、私どもはなお先へと探索を続けました。やがて墓の一番奥に当る所でアンティゴネが―――アンティゴネが首に細長い亜麻糸の紐(ひも)を巻きつけて死んでいらっしゃるのが目に入りました、私どもがそこへ着いた時には、既に王子が死体をお降しになって床に寝かせ、それを抱くようにして縋(すが)りついていらっしゃいました。
―省略―
 王はそれを目にするや否や、激しい苦悶(くもん)の叫びを挙げ、部屋の中へと踏みこみ、泣き叫ぶようにして王子にこうおっしゃいました、「ああ、不幸な子よ、何ということをしてくれたのだ! 何を考えてこんなことを? 一体どんな不幸が、こうまでお前の理性を奪ったのだ? さあ、出て来い、頼む、お願いだ!」すると王子は鋭い目で王を睨(にら)みつけ、いきなり顔に唾を吐きかけると、一言も口をきかずに、柄(つか)が十字になった剣(つるぎ)をさっと引き抜かれました、直ぐさま王は飛び退かれ、王子は相手を逃したと知るや、今度は悔し紛れに自ら刃(やいば)に全身の重みを預け、剣を脇腹に突き刺したのでございます。そうして意識が半ば薄らぎかかるのを、ようやくの思いでアンティゴネの方に這い寄り、その亡骸を、力も衰え果てた両腕に辛うじて抱きしめるや、その最後の喘ぎとともに、蒼白いアンティゴネの頬の上に真赤な血潮がどっと迸(ほとばし)り流れたのでございます。
―省略―

179ページより引用

クレオン この禍いをどうしたらよいのだ、この陰鬱な魂の犯した罪を、死をもたらした頑な罪を! ああ、こうしてお前たちの目の前にいるのは自分の子を殺した父と、その父に殺された子と、惨めな二人の姿なのだ!
―省略―
コーラスの長 遅すぎました、正しい道を見出されるのが、余りにも遅すぎました。

⇧  上記の衝撃的な場面を無理やりに六十四卦に当てはめようとしますと、”遅すぎた”というフレーズに固執するしかありません。
          
          雷山小過の九四
           (らいざんしょうか)

              ☳
              ☶
小過とは、小なる者(陰)が過ぎて亨る・・・・小人(陰爻)が集まり、明るく決断する力が弱まっている卦、です。

  「九四は、咎なし。過ぎずしてこれに遇う。往けばあやうし。必ず戒むべし。永貞を用うることなかれ。」
  進んで事に当たろうとすると、思わぬ落とし穴(☵)にはまってしまう(雷山小過=大坎の卦)。また、内卦と外卦が背き合っている。理想と現実の乖離・・・・・・。

180〜181ページより引用

  従者が館より出て来る。
従者 王様に申しあげます、既にその肩には堪えがたい苦悩の重荷をお背負いの御様子、その上こちらにも重荷が待ち伏せております、お館のうちに重なる悲しみが、ひそかにお出でを窺(うかが)い、身を潜めているのをやがて御覧になることでございましょう。
クレオン まだ何かあるというのか、既に降りかかった不運を超える、どんな不運が?
従者 お后がお亡りになりました、その方の紛(まご)う方なき真(まこと)の母御が―――ああ、何と不幸なお后か!

―省略―
  館の扉が開かれ、エウリュディケの亡骸が正面に見える。
クレオン おお、見える、新たに積み重なるこの不幸が! この上、何が、どんな不幸が俺を待ち伏せしているのか? 俺はたった今、この腕に息子を抱えていたのだ―――それがまたもや、こうして亡骸を目の前に! 何ということだ、この幸(さち)薄き母親! ああ、そしてわが子よ!
従者 お后は祭壇の前で、鋭い刃を手にし、自らお果てになり、暗い永遠(とわ)の眠りに身をお任せになりました。
―省略―

182〜184ページより引用
クレオン ああ、ああ! 何と恐しい身の上か。誰でもいい、俺の心臓に両刃(もろは)の剣を突き刺してくれる者はいないのか?

―省略―

コーラスの長 もはや何も祈らぬが宜しゅうございます。いずれは死ぬべき人の身、定められた苦悩から逃れる術(すべ)はございませぬ。
クレオン では、連れ去ってくれ、頼む、思慮の足りない、愚かな人間を。わが子よ、お前を心にもなく殺してしまったこの俺を、お前もだ、わが妻よ―――何と惨めな俺だ! 俺には分らぬ、どちらに目を向けたらよいのか、どこに助けを求めたらよいのか。俺の手にあるものすべてがずり落ちてゆく、
―省略―

⇧  上記の卦は、まさに、
           山地剥の上九
            (さんちはく)

              ☶
              ☷
「剥は、往くところあるに利ろしからず。」
  陰爻が競り上がり、上爻の陽を撃ち落として行く勢い、陽が剥落される意味合いの強い卦です。 身の引き締まった甘い果実(陽爻)も、隠れた目論みの前にはかなく崩れ落ちてしまう・・・・・・。
  「上九は、おおいなる果(このみ)食われず。君子は輿(よ)を得、小人は盧(ろ)を剥す。」

  
  クレオンは館の内に導かれる。コーラスの長が最後のせりふを静かに語
  る。
コーラスの長 叡知(えいち)こそ仕合わせにとって何より大いなるもの、また神々に対する敬意は決して蔑(ないがし)ろにしてはならぬ。傲(おご)れる人の昂(たか)ぶった言葉はやがて罰せられ、ようやく年をとるに随い、叡知がどれほど大事なものかを身に沁(し)みて悟るのだ。


本作を振り返り、無理くりに近い形で六十四卦を配置する中で、氷見野氏といはまた違った視点から、ギリシア神話を、易経を眺める運びとなりました。私の七面倒くさいやり方から一応の答えをそれなりに導き出しますと、本作は、”血”を巡る話だ、という事です。血の掟に葛藤する者、苦しむ者、血の通う日々を求める者、血の滴りに涙する者、そして、血、そのものになる者・・・・・・まさに、地水師(☷☵)を巡る静かな冒険活劇、という側面も備えた話なのでは無いか、と。
  本当に、今回、現代劇では無く、ギリシア神話に挑み、血の凍る程?大変な産みの苦しみのようなものを味わいました。次はもっと柔らかな?作品を探って行き、そこを通して易経と、六十四卦と向き合って行けたら良いと思います。(一方で、相変わらず古典戯曲との格闘も、もっと柔らかく?続けて行きます。)
 時には読者を置き去りにしてしまう程の、完全なる私のコアに対する自己満足ですが、今後も是非ご愛顧頂き、戯曲を愛する方、易経を愛する方、東洋占術を愛する方、の、少しでも足しになれば、私の”血”は潤います。
 どうか、雨(☵)が、じっくり大地(☷)に染み込む、水地比(すいちひ)の如く、親しみを持って、じっくりお待ち頂けたら嬉しく思います。
 引き続き、宜しくお願い致します!

                    令和五年 三月二十六日
                東洋占術家   副汐 健宇       


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