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周易で勝手に人物占をしてみた②〜『聖者の行進』の竹上三郎〜

皆様、いつもこちらに指を運んで頂き、誠にありがとうございます!

最近、ようやくジャニーズの新進グループ、Snow Manの9人全員のメンバーの名前が言えるようになって、東京都中野区でひとり充実感に震えている、曲がりなりにも東洋占術家、副汐 健宇(フクシオ ケンウ)。源氏名です。

(ちなみに、Hey!Say!Jumpのメンバーも、ようやく全員言えるようになりました! <(`^´)>)

#とりあえず、ジャニーズから一旦離れようか

今回も、かつて一世風靡してセピア色に輝いていたドラマ(ん?)の、生年月日を知らない登場人物を、周易で勝手に人物占をしてみる、という暴挙に出させて頂きたいと思います。

今回取り上げさせて頂くドラマは、

1998年1月9日〜1998年3月27日にTBSの金曜22時に放映されていた、

  『聖者の行進』

(脚本:野島伸司  主演:いしだ壱成)

です。

地方都市の工場「竹上製作所」で働く、知的障がいを抱える青年達の群像劇です。タイトルは、酒井法子氏演じる、楽団指導のボランティアを行う私立高校の音楽教師の元で彼等が演奏する楽曲のタイトルと、純粋で優しく、汚れを知らない彼等が人生を生きて行く様子をかけたものと思われます。

段田安則氏演じる工場の社長・竹上光輔が、彼等を受け入れる地元の名士のような扱いを受けながら、その裏で、賃金の搾取、そして、暴力の指導、性的な虐待等・・・過激な描写がそこはかと無く散りばめられ、それ程ネットが普及しておらず、コンプライアンスという言葉も定着していなかった当時でも、放送の中止を訴える運動、抗議が、福祉の団体等から数多く寄せられ、実際にいくつかのスポンサーが降りた、という事も繰り広げられていたと記憶しています。当時、TBSは平日夕方17時にドラマの再放送枠がありましたが、『高校教師』や『人間・失格』『未成年』等、同様に過激な描写を携えたこれらのドラマは再放送されていましたが、当ドラマだけは、一度も再放送されなかったと記憶しています。

当時、毎週固唾を飲んで鑑賞していた私としましては、脚本の野島氏の織り成す過激な描写に余りにも触れ過ぎて、多少の麻痺を覚えていた事は認めます。ただし、それ以上に、主演のいしだ壱成さんが演じる、町田永遠くんの、絵本「3匹のこぶた」のウーに自分自身を重ねて無邪気に健気な心情を吐露するモノローグ、そこから青年達に徐々に備わる強さみたいな描写に惹かれていたのだと今では思います。

また、最終話、竹上光輔が、炎で燃え盛る工場の中、永遠くんに粛々と今迄の心情、そして懺悔を慟哭するシーンは、あらゆる野島伸司脚本ドラマの中で、一番心打たれるシーンだと個人的に今でも思っています。

また、最終話のサブタイトルは、「僕らの世界は光に満ちているか」・・悪徳の権化のように描かれていた竹上光輔の名前に「光」がある・・・そこに、一枚岩では無い、複雑な想いが込められているように思い、当時から身を引き締めながら、当ドラマに触れていました。

・・・と、前置きがまたしても長くなってしまいましたが・・・

今回、当ドラマで取り上げる人物は、その竹上光輔の甥(弟の息子)で、

デビット伊東氏が演じられた

竹上三郎、です。

何の情緒も優しさも感じられないような、ただただ乱暴者で、青年達に暴力に暴力を重ねるような、ただただ野蛮な男として描かれていました。ろくに工場の経営に貢献しているようにも見えず、挙句の果てに、社長の奥様と不倫をし、まさに暴虐の限りを極め尽くしたような、凄惨な人物として描かれていたように思います。

元々、俳優畑では無いデビット氏が演じられたから良かったものの、もしも、新進の俳優がこの役を演じたら、その俳優の今後の活動に大きな影、支障が出ただろうな、と思う程です。

社長である光輔は、どのようにして悪に至ったのか、永遠君に懺悔する事で丁寧に披露されますが、三郎は、安藤政信氏演じる高原廉に、光輔からの命令で殺されるまで、ただただ暴虐の限りを尽くすだけ尽くす描写しか無く、どのようにして悪徳に至ったか、という背景が描かれていないのです。

当ドラマのWikipediaでは、ボクサーを目指していたが挫折、大学をブラブラしていて借金を抱え云々書かれていますが、実際のドラマでそのようなエピソードは、略されたのか分かりませんが、見つけられませんでした。せいぜい、廉に「愛された事が無い寂しい人間だ」と挑発された事くらいしか、三郎の背景は見い出せないのでした。

そこで、お待たせ致しました。三郎は、実際にどういう人間なのか、

ようやく周易の出番です。

当ドラマにDVD等で触れながら、今回の人物占の結果と照らし合わせて、周易を勉強される方が、少しでも学びにお役立て頂けましたら光栄です。

(結果)  火山旅(かざんりょ)  四爻

       ☲

       ☶

”旅”とありますので、楽しい観光旅行が思い浮かばれそうですが、『易経』が成立した時代の旅とは、決して浮かれた楽しいものでは無く、そこに留まっていると襲われる恐れがあり、仕方無く”移動する”ような、不安から放浪する、という意味合いの方が強いのです。

離(☲)=火は、当ドラマの最終話よろしく、次から次へ燃え移って一刻も止まりません。旅人が、せわしなく旅を急ぐ様に似ています。

その火山旅の四爻(下から四番目の位置)の爻辞は、

『象に曰く、旅のとき于(ここ)に処(お)るは、いまだ位を得ざるなり。其の資斧(しふ)を得、心いまだ快からざるなり。』

資金と斧を受ける等、優遇されるが、居心地は良く無い、というような意味があります。四爻は陰の位置でいなければならないのに、陽でいる。自分の実力より上を向いて、火よろしく苛立っている様子が窺えます。

また、自身と他者を掛け合わせて状況を見る、互卦、は

   沢風大過

     ☱

     ☴

となっています。真ん中に比重がかかり、今にも折れそう、という暗示の強い卦ですが、周囲に対する期待が高過ぎて、周囲に過度にプレッシャーやストレスを自然と与えてしまう、とも見えます。

周囲からの印象(綜卦)は

    雷火豊

     ☳

     ☲

なので、やはり、過剰に怒り出すような、落ち着きの無い、ただただ力で圧して来る人物、冷静さの無い人物、と思われやすいでしょう。

三郎の背景を(錯卦)見ますと

     水沢節

      ☵

      ☱

”滞る”という暗示の強い卦なので、かつて、節制、節約を強要されたり、情を上手く周囲の人々と通い合わせられなかったような出来事があったように思います。廉の指摘もあながち間違いでは無かったのでしょうか。

Wikipediaでは、大学を中退してブラブラ、ともあります。やはり、その点では、現状に常に満足出来ず、燃え盛る火の如く、すぐにカッとなり、コミュニケーションも雑で、すぐに子分を置きたがる(四爻は初爻の陰と応じている)ような、今ここにいる幸せを感知出来る能力の弱い者だったのでしょうか。

どことなく、火山旅が三郎を言い表していると思いますが、当然ですが、人物占をして火山旅が出たら皆こういう人物か、という事では無く、最後は、

その人自身を実際に見て行かなければならないと思っています。

そこが、立卦を読み解く事の難しさでもあり、面白さもあり・・・

私も、情熱の炎の如く、あらゆる事を縦横無尽に感知して、立卦読みに役立てたいと思います。

竹上三郎が、当ドラマでして来た事は、どんな背景があれど、決して許される事ではありません! と、最後に付け加えておきます。

・・・私は、真面目な側面を少しでも多く見せて行きたいので

#当たり前や

引き続き、宜しくお願い致します!

最後まで駄文の限りの駄文にお付き合い頂き、誠にありがとうございました!

               令和二年  十二月十四日

                  副汐健宇

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