the sound of silence
木から落ちた紅葉の方がきれいに見える人生だ。秋雨は夏の残り香を洗い流すようなものではなく、むしろ冬を溶かしたような冷たい雨だった。カラフルに染まった紅葉を散らしながら地面に模様をつけていく。水たまりの波紋が弱まっていく様子を見ているうちに一限の講義が始まる時間になっていた。安物のビニール傘をたたみ、手近な木に引っ掛けた。縁があればまた会えるだろう。
講義棟へと向かっていた足を、駅の方へと向け進んだ。時に水たまりに足を突っ込みながら、寝坊したのであろう学生のまばらな波に逆らって歩く。知り合いに会わないかビクビクしながらも、彼らの目に移る僕の姿を想像して、少し楽しくなった。きっと、幼い頃はもっと自由だったはずだ。雲ひとつない空や、不思議な声の猫、美味しそうな焼き芋の匂いさえ、学校をサボるには十分な理由だったはずだ。
ポケットからスマートフォンを取り出して、メッセージを確認する。開かずに、既読をつけないように。
* * *
「どうしたの?」
扉を開けた彼女は、目を見開いていた。
「どうしたのって、先輩が呼んだのでしょう」
「そうなんだけど、うん。驚いた。入って」
入って、散らかってるけど。と彼女は僕を招き入れた。
先輩の部屋は、ひどく秩序だっていて無機質だった。時代だから、こう言うものじゃないのだろうけれど、女の子らしくない。しかし、だからと言って男の部屋という感じもしない。ただ、人が住んでいる気配がしない。
「好きなところ、座って。ペットボトルのお茶くらいしか出せないけれど」
先輩は麦茶色の液体が入ったグラスを二つ、台所から持ってくる。僕は部屋の中心にあるちゃぶ台、といっても洋風のものだが、その小さなテーブルのそばに座った。先輩は向かいに座る。
「授業は?」
束の間続いた沈黙を破ったのは先輩だった。
「やってると思いますよ」
「いいの?」
「良くはないかな」
ふっ、と笑う先輩。ごめんね。っていって麦茶を一口飲む。
外は、いつの間にか日が差すほどの秋晴れだった。薄いレースのカーテン越しの光は小さな部屋に充満し、時を止める。どこからか、秒針の音がする。
「私たち、どこで間違ったんだろう」
先輩の視線は窓の外。その『私たち』に僕が含まれる日が決して来ないこと知っている。
「初めから、間違っていたんですよ。きっと」
きっと、この言葉も間違いだ。唇は愛を囁くものであるべきなのに。
彼女の目は、窓の外。きっと、ここにいない誰かを見ていて。
僕の目は、二つのグラスを見ていた。全く同じ、麦茶の量だけが違うグラス。この部屋には、もともと二つのものなどなかったのだ。
どこかから秒針の音がして、僕たちがまだ生きていることを教えてくれる。彼女の涙も加わって。
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