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Christmas evening

 去年のクリスマスも一人だった。一昨年も、その前も。

「雪の降らないクリスマスを見てみたい」
 昨年、大学から駅へ向かう道で、ちょうど同じ時間に講義が終わった先輩と歩いていた僕は、そう言った記憶がある。

「そう? クリスマスはやっぱり白い方が好きだな」

 氷点下の風に吹かれて、肌の白さと頰に呈した珠色は、顔の輪郭よりもはっきりと思い出せる。雪の降る街で生まれ育った彼女は、今頃、白くないクリスマスを過ごしているだろう。
 飲みかけのラム酒ロックを持ったまま、窓辺に寄って凍った窓を開け放った。静かな夜だ。心なしか行き交う車も、息を潜めているようだった。暖房が入った部屋の空気と、澄んだ外の空気が僕を境にぶつかり合う。それぞれ混ざることなく肌を撫で、僕を懐かしい記憶の中へとさらっていく。

 クリスマスに孤独を感じたことはなかった。

「なんで君はガールフレンドをつくらないの?」他人の家であるのを良いことに、せっかく暖房で温まった部屋の空気を、入れ替え始めた先輩は言った。
「つくろうと思って、できるものじゃありませんよ」
 君なら、すぐにできるだろうにね。先輩は笑って言った。少しアルコールが回っているのか、頰が赤い。心なしか、声も弾んでいる。
「先輩こそ、毎年クリスマスイブに男と飲んでて、彼氏に怒られないんですか」
「私、彼氏いないよ」すっと、冷めた言い方で答える先輩。「つくる気もないし」自分の心臓が少し騒がしくなるのを感じた。
 去年のクリスマスイブにも同じような会話をした気がする。あの時は、まだアルコールに慣れていなくて、霧がかかったような記憶だけど、それでも、先輩が彼氏を作る気がない、というのは初めて聞いた。
「やりたいことがあるんだ」先輩の瞳に捉えられる。間接照明は洒落た雰囲気で薄暗いけれど、彼女の視線が僕を射抜いていることが分かった。
 細かいことは知らない。けれど、彼女には叶えたい夢がある。それは、この国を飛び出して、助けを求める人に手を差し伸べる、という正義の味方のような夢だった。具体的になにをするのか。どうしてそんなにも強い意志で貫けるのか。たぶん、僕たちは、一番大切な話を避け続けてここまで来た。

「知っていますよ。僕もです」
 少しだけ嘘をつく。僕も国際保険やマイクロファイナンスなんかを目標に掲げて、10年ばかり生きてきた。なんとなく、ここで別れても、先に交差する点がある気がして、心の底に隠している気持ちを伝えるほどの勇気が出せない。ただの曖昧で不確定な未来なのに、彼氏をつくる気がない、という言葉に安心を覚えてしまう。

 そして、互いの本心をなんとなく共有したまま、先輩は卒業してしまった。
 卒業式の後にそのまま飲み会に行くという先輩に、嫌がらせという口実で三時間かけて選んだ花束を渡した。
 それ以降、時に近況を報告し合うだけの関係が続いている。

「っと、やべ」一瞬気が緩んで、持っていたラム酒のグラスを滑り落としてしまった。きゃ、っと小さな声が聞こえた気がして、部屋を飛び出す。
 通行人にぶつかっていたら、シャレにならない。玄関を開け放ったまま、階段を三段飛ばしで駆け下りて、引き戸を思い切り開ける。ばんっ、と音を立てて開いた戸の先には、自分の髪の匂いを嗅いでいる先輩がいた。

「ラム酒。しかも、結構高いやつ」長かった髪は、肩ほどに揃えられていて、びっしょりと濡れていた。「シャワー貸してくれるかな」
 聞きたいことは山ほどあったが、「どうして」という言葉を飲み込んで、あまりの迫力に頷くしかできなかった。
 先輩は、僕を素通りして階段を上っていく。僕も後を追おうとしたところで、彼女は振り返った。

「クリスマスだからね」そう言ってわざとらしく片目を瞑った。


******

 身内に不幸があった。大好きだったお爺ちゃん。思い出せば、自然と涙が出てくる。家の扉には鍵をかけて、彼は外に締め出したから、声を聞かれる心配はないだろう。親の泣いている姿を見るのが、なんとなく耐えられなくて、実家を飛び出して気がついたら、ここに行き着いた。心の底では彼に会いたかったことを自覚し甘い気持ちになった直後の手荒い歓迎だから、もう、嫌になるなぁ。髪の匂いを嗅いでみる。「うっ」まだ、アルコールの匂いがする。もう一度、よく知らないメーカーのシャンプーで髪を洗い始める。明日、髪、ごわごわになりそう。

 やっとお酒の匂いが取れて、浴室を出ようと思ったところで、服がないことに気がついた。さっきまで着ていた服は、ラム酒で濡れてしまった。彼を呼ぼうにも、外に締め出してしまったし。
「うむ、仕方がない」彼の服を漁ることにしよう。

******

 体は冷え切って、やっと扉を開けてもらったと思ったら、僕のTシャツを着た先輩が立っていた。

「え、良い」
「うるせえ」


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