たけやん

網膜色素変性症とともに生きる4児の父。23年間勤めた障害者支援の仕事を辞め、現在は盲学…

たけやん

網膜色素変性症とともに生きる4児の父。23年間勤めた障害者支援の仕事を辞め、現在は盲学校の鍼灸学生として修行中。次第に見えなくなる世界と向き合いながらも、これまで紡いだ経験や出会いを大切に生きていきたいと思う今日このごろ。

最近の記事

運転免許の葛藤

私は3歳で網膜色素変性症の診断を受けました。 私の1番古い記憶のある視力は、小学校1.2年生の時で、裸眼で0.4だったと思います。 大学入学の時には、眼鏡をかけて0.7でした。 私には双子の弟がいるのですが、2人同時に大学生を持つ事になった親は、自宅から通える大学を条件にしていたので、家から大学まで片道1時間半かけて通学していました。 入学当初は、バスと電車で通っていましたが、大学の友達や先輩が車やバイクで通うのを見るにつけ、当時の私はあまり深く考えずに原付免許を取得

    • 白杖≠全盲

      こんにちは。 私の場合、40歳を過ぎて白内障が進行し、視野狭窄と羞明、視力低下が激しくなった数年前から、駅や繁華街など人の多いところでは白杖を使用しています。 今年の春に白内障の手術をしましたが、視野狭窄は進んでいるので、人にぶつかるリスクを減らすことや、痴漢などの冤罪を防ぐことが主な使用目的です。 私の場合は全盲ではないので、路面状況を掴むための石突きは必要なく、いわゆる「シンボルケーン」と呼ばれる短い杖を使っています。 白杖は福祉用具として公費支給を受けられますが

      • 「明るい⇄暗い」が見えづらい

        こんにちは。 網膜色素変性症(以下:色変)の症状に、明暗反応が遅いというのがあります。 つまり、昼間に外から建物に入った時や、トンネルから外に出た時に、眼が明暗に追いつくまで、晴眼者なら数秒から数十秒くらいかかるのに対し、色変の人は数分以上かかるというものです。 それに加えて、羞明といって眩しさが強い症状もあるため、私たち色変患者には遮光メガネが欠かせません。 一見してサングラスに見えますが、れっきとした補装具です。 なので、色変の子どもたちの中には、サングラス=オ

        • 夜盲症の必需品

          こんにちは。 私たち網膜色素変性症の中には、夜盲症という症状を持っている人が多くいます。 通称「とり眼」ともいいますが、暗いところが見えません。 真っ暗な夜間は勿論、薄暗いところでもかなり見えにくくなるので、私たち夜盲症には懐中点灯が欠かせません。 今日は、そんな私の懐中電灯コレクションを紹介します。 まず一つ目、LED RENZER。割と初期に買ったやつです。 Ledlenser(レッドレンザー) P7.2 LEDフラッシュライト 単4(AAA)4本 [日本正規

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          49歳、網膜色素変性症の鍼灸学生です

          こんにちは。名刺代わりにまずは自己紹介から。 私は、先天性網膜色素変性症という指定難病とともに49年間生きています。 この病気は進行性ですが、個体差が大きく、人によっては全盲になる方も多くいます。 私の症状は、暗いところが全く見えない重度の夜盲と弱視、視野狭窄があり、人が多いところでは白杖を使っています。 子どもの頃は矯正視力がまだまだあったので、幼稚園から大学まで普通校に通いました。 大学卒業後は、自転車製造販売の会社に勤めましたが、眼の病気をクローズして就職活

          49歳、網膜色素変性症の鍼灸学生です