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アイドルはいらない

ちょっとタイムリーなタイトルですが。

これは師匠の話ですが。似たようなものかと。
私はいまのところ、自分の「師匠」は大学院の指導教官だけかなと思っています。

これまで携わってきた仕事の先輩や上司に尊敬する人はいっぱいいます。
フォローしてるインフルエンサーやライター、カメラマンの先輩、プロな方々も、リスペクトしてますし尊敬してます。
ただ「師」じゃないな、と。

っていうか、師事できるって相当ですよね。
やり方や考え方を全部まるっと100%肯定できる人って、いままでいたことがないんです。指導教官もいくつかの点で「no」なので全肯定はしない。
全肯定となると、もう「師」でなくて「アイドル(偶像)」ですね。

尊敬する人たちも、よく聴くラジオやポッドキャストのMCも、好きな俳優もタレントも、アーティストも、友人も、家族も、恋人も。
その考えすべてを理解できる人はいるけど、自分とぜんぶ同じだ!っていう人はいない。

いろんな人たち、とりわけ先を行く人たちの考えの中で、自分の目を覚ましてくれたり視野を広げてくれたり、頭をひっぱたいてくれる考え。同じ方を向いていて自分を勇気づけてくれる考え。
そういうのを切り貼りして「目指す方向性」のボードを日々更新していく。人から学ぶってそういうもんじゃないかなって思うんです。

ある一人の考えを妄信してなにもかもコピーする人。そんな人がいるのかわからないけど、もしいるなら、その営為の果てでなれるのはニセモノでしかない。

私は何かひとつの専門性を追究していくタイプではない「ツギハギ人間」なので、ハンパモノではあるけどニセモノにはなりたくない。
なので、参考意見の集合体(メンターのプール)を作る。インフルエンサーなり、参考にしたいと思ったその道の人たちをフォローしておいて、同調したり自分をハッとさせる意見が浮かんでいたら釣り上げる。
そしてそれらを参考にして、ツギハギな自分を紡いでいって、自分なりのパッチワークを作り上げる。そういう風でいたいのです。
というか、そうするほかないでしょっていう考え。

もちろん、まるっと100%全肯定なんて軽々にはしないと思う、本来は。
でもTwitterのリツイートやいいねをはじめ、「肯定」の意思表示ばかりが見えやすい昨今、『全肯定を集めるインフルエンサー』という錯覚に陥りがち。
個々人は本当はそんなことなくても、可視化された言動が作り出す実体のない集団が、全肯定をしているような流れを作っている。
政治や働き方、metoo、写真の撮り方、旅の仕方、スマホゲーの最強キャラは誰かまで。

常々そこに気を付けて、妄信をしないこと。
全肯定できるアイドルはいないということ。

人の考えを拾い上げて、自分の眼で眺めて、これだと思ったものを切り貼りする。コレだと思ったものだけ模写・模倣してモノにする。
ツギハギ人間はそうやって自分だけのパッチワークを作り上げるしかない。

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