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【男子寮】眼は一重 人格二重 彼と三重

 「授業中は大人しくて勉強でも目立たへんのに、文化祭とかがきっかけで、どういうわけなんか周囲が想像もしてなかったような特技を発揮する子。その瞬間だけアイドルみたいにスポットライト浴びんねんけど、また次の日から何事も無かったみたいに教室に埋もれてく子。でも、何かのイベントには必ず呼ばれる期間限定の人気者。たまに学校でこういう意外性をもったタイプの子って居なかった?これってね、“意外性”なんてカッコイイもんやなくって、単なる“二重人格”なのよ。引っ込み思案の日常に耐えられなくなってるところに、何か外からの刺激が加わると、ごく一部の薄っぺらい才能の蕾が偶然硬い殻を破って開花するだけのことなの。やけど、桜みたく即座に散るの。桜みたく美しくもないくせに。
 私がまさにそう。情けないことにオトナになった今でもそうよ。私のこと見てて、そう思わへん?勤務中は大人しくて仕事でも目立たへんのに、組合の夏祭りになると派手な衣装で踊りまくってオープニングを飾ったりしてる。でも、学生時代にダンス部やチアで鍛えてたってわけともちゃうし、単なるミーハーの洋楽好きがお気に入りのアーティストの映像ばっかり夢中になって見てるうち、自然とフリを覚えちゃった感じやし、また次の日から何事も無かったみたいに職場に埋もれてくの。要は、勉強も仕事も好きになれへん人生の腹癒せに、チューハイ2本のチカラ借りて、ステージを独り占めしてただけ。日頃は何の取柄も無い私がこの会社で注目されるのはあの数分間だけ。」
 
 転勤先の京都、隣の部署の社員で、会社帰りに一緒に食事をするようになり、何度かは休日に観光地へ出かけるくらいの関係にまで進展した人がいた。あの春恵さんだ。30代半ばになって、私は転勤をきっかけに社内での担当職種が変わったこともあり、「デートする暇もないような日々」からはようやく解放されたのである。
 ところが、支社での地方営業しか経験の無い人間が、初めての本社勤務である。多士済々というのか、海千山千なのか、それとも有象無象か、これまで見たことも無いような大人数かつ色々な人間に囲まれて、多岐に亘る部署を横断しながら働くのだ。経理伝票1つとっても、せいぜい得意先の接待費や出張旅費の立替精算、商品代金の値引き処理くらいしかやったことのない私が、カネの出し入れを覚えるだけで神経を消耗する環境に変わった。それどころか、初めて目にするような仰々しい文書が何種類も登場し、これらを器用に取り扱わなければならない環境にガラッと変わったわけである。会議や打ち合わせの順序に段取り、決裁のルールとか準備する資料とか、本社独特の組織運営に関わる基礎を学ぶのに必死の毎日。それをサポートしてくれた“教育係”的な存在が春恵さんだったのだから、必死な毎日の中で親しくなるのは必然だった。
 必死と必然の日々が5年も続くと、居酒屋で仕事の愚痴を吐き合う平日に飽きた二人は、ツウ好みのガイドブックにしか載っていないような隠れた古刹を休日に巡りつつ身の上話をする仲になっていったのだった。私は京都の街も春恵さんも好んでいたし、春恵さんも京都の街を私と散策することを好んでくれていた。
 
 「普段は上司に呼ばれても蚊の鳴くような声で返事するような私がよ、たったチューハイ2本で舞台に立って、百人以上の眼差し受けても上機嫌になっちゃうんやから、お酒って有難い魔物ね。まったく呆れるくらいの二重人格よ。二日酔いを引き摺りながらダラダラ働いてたくせに、夕方んなると元気が出始めて、昼のストレスを夜に発散する中年オヤジと、私のやってることは同じ。いや、それよりも酷い二重人格。だって、自分でも解ってるけど、中年オヤジより質が悪かったもん。さすがに今では落ち着いたけれど、大した希望もないまんま、お嬢様学校でズルズル過ごして、親のコネでこの会社に入って、それから数年の間はね、無茶苦茶な先輩に誘われて、酒の力でイタズラをするのが楽しみやった時期があったの。
 入社したばかりの頃って、まあ美人でもないけどブスでもなければ、若い女が職場に来たってだけでチヤホヤされたわ。私もチヤホヤされた。それが男尊女卑やってすぐにカリカリする人がいてはるけど、私は助かった。だって、私と同じ本社配属になった同期の男子たちを視てると、いきなりキツイ課題で絞り上げられて可哀想やったもん。男に生まれなくて良かったと思ったわ。そりゃ、女も総合職はバリバリ働かされてたし、本人も目標もって働いてたよ。そんなもん、同じ総合職なら、業務も役割も給料も男女平等に決まってるやん。せやから男尊女卑でも何でもないのよ。チヤホヤされる分、むしろ女尊男卑なんやし、オンナもしっかりしてくれよ、って私は思ってた。それがフタ開けてみるとどう?『私のやりたい仕事はこういうことじゃなかった』とか『目指す夢に向かって勉強し直したい』とか『出産を機にラクな仕事へ移りたいけど、会社に迷惑かけたくない』とか、適当な言い訳並べて、十年も経たへんうちにかなりの総合職が辞めちゃった。結局、ルーチンワークしか期待されてなかったはずの一般職だけが、私も含めて一人も辞めてへんし、一般職は転勤も無くって、同じ所に長く居るもんやから、今じゃルーチンどころか、無責任に辞めていったオンナの仕事も穴埋めしてるし、あなたみたいに後から本社に来た総合職の教育係まで務めてるってわけよ。
 本音を言わせてもらえば、心の底から『おめでとう』って気にはなれないわよ。これはね、自分に立派な志や目標が無いとか、自分に結婚相手が見つからへんとか、そういう理由での僻み根性ともちゃうの。当時の悪い先輩も言うてはったわ。『自分よりも後から入社してきて、自分よりも沢山のお金で会社から教育されて、ようやく一人前になったってところで自分よりも先に退職する。裏切られたとまでは云わへんけど、採用面接でも入社式でも配属先での挨拶でも“少しずつ勉強して会社に貢献してまいります!末永くよろしくお願いします!”って鼻息荒く選手宣誓してたのは全部ウソやんか。本当に末永く勤められるように、せめてしっかり企業研究してから来て欲しかったわ。子供が出来て退職する道が楽やとは言わへんよ。かといって、会社に在籍しながら2~3人産んで、産休・育休が続いて、伸び盛りの若い一時期に殆ど出社しない道が楽とも言わへんよ。でも何となく思わへん?これって、会社にとっても、ウチらにとっても、正直なところ“ムダ金”やん。若い頭脳を発揮してもらおう思っても、辞めるか休むかのどっちかで、結局よう働かへん。やのに、結婚式に呼ばれたら、高っかい御祝儀包んで、祝福するフリして、男の独り暮らしやと絶対に使わへんペアのティーカップなんか引出物に持たされて、気付いたら部屋じゅうが要らんティーカップだらけや。』ってね。不思議に思うかもしれへんけど、オンナの私がこの先輩の意見に最も共感しているし、激しく賛同しているの。能力が高くても、生活に困ってなければ、その頭脳で余計なことを考えてしまって、いとも簡単に会社を辞めちゃう。まして女なら、しかも美人なら、生活力のあるオトコを掴んじゃうって切り札を持ってるから、会社にしがみつく理由なんて無いわ。そうなるとね、非凡な才覚なんて無くてもいいから、収入のために働きたいっていう普通の男を雇っておくのが安全牌なのよ。会社ってのは、持続可能な労働力を確保しようと思ったら、給料に飢えた男を中心に採用するのが近道なんやって、女の私が本気で考えているの。笑っちゃうでしょ。
 でも、ホントにそうやと思わへん?女が辞めたり休んだりすると、結局、残された男の総合職と、私みたいにモテへん女の一般職が、彼女たちの勝手に溢していったボールを1つずつ拾って、最後はグラウンドにトンボまで掛けてる。私、野球部のマネージャーでも何でもないのに、毎年そんな状態がさも当たり前の風物詩になってるって、おかしない?男女共同参画ってやつに何のメリットも感じひんのに、その中で平然と働き続けるのが虚しくなってくるのよね。休まず毎日きちんと出勤している私らばかりにシワ寄せが来て、たっぷり育休取った女が職場復帰するとそっちのほうがチヤホヤされるって、もう頑張るのがバカバカしくなってくるの。

 だからというわけやないんやけど、鬱憤を晴らす方法が度を越してた時期がちょこっとだけあったの。あっ、そうそう、話を戻すと、そもそもその悪い先輩に誘われては悪趣味なイタズラをしてたって話やったね。名前は言えないわ。今じゃ心を入れ替えたのか偉くなっちゃったけど、ヤンチャやった頃、その先輩、結婚したくせに私の誕生日に二人で食事をしようって誘ってきたの。で、私がイヤって断ったら、『せやったらウチならええやろ』って、ご自宅に招かれたの。ご自宅って言うても、あの伏見の社宅よ。したら、奥様が料理をご馳走してくれはって、その奥様の目の前でいけしゃあしゃあと『君のためにとっておいた』って、私と同じ誕生日のワインを見せて、『素敵な夜にしよう』ってソムリエナイフを瓶の口へ当て始めたの。そっからはもう1時間も経たへんうちに3人ともグデングデン。でも、先輩だけは何とか精気を奮い起こそうって感じで、酔った奥様が眠りについたのを慎重に見届けると、私にキスを迫ったの。社宅ん中よ。無茶苦茶でしょ。せやけど、まあまあ冗談っぽかったし、もともと可愛げのある人やし、こんな所で私が感情的になって大声出したら、それこそ二人の何もかもが無茶苦茶になっちゃうでしょ。で、上手に拒んだら、『せやったら外の空気を吸いに行こう。おもろい所へ連れてったる』って言わはるから、丁度良かったわ。とりあえず密室から出れば、ヘンな間違いは起きひんし、適当なタイミングでそのまま帰ろう思って、その“おもろい所”くらいはお付き合いしてあげることにしたの。行き先って、何処やったと思う?社宅から15分も歩けば行ける所よ。そう、奥様ほったらかしにして、二人でね、女人禁制の独身寮を“襲撃”したのよ。勿論あなたが本社に来て、あの寮の寮長になる前の出来事よ。当時は会社もつまらなかったし、酒飲んで破天荒なことするために先輩を利用してたみたいなところはあったから、私も悪いの。でも、確かに“おもろい所”やった。
 あなたもよ~く知ってるでしょ。コツを掴まへんと動かへんガタガタの引き戸を開けたら、真っ直ぐな廊下に四畳半が並んでいるのよね。まるで独房。住人みんな、スーツとYシャツと下着とフトン以外に部屋には何も置いてへんし、いちいち鍵なんて掛けてへんけど、いきなり留守を狙うのは芸が無いって、灯りの点いてる部屋を堂々と襲ったわ。まずは私の同期の部屋。それはもう目ェ丸くして驚いてた。で、先輩が『へえ~、なかなかキレイに片付いとるやないか』って言いながら容赦なくガサ入れを始めるんで、私もベッドの下に手を伸ばしてみたら、『あ~、そこはダメ』って同期が叫んだ瞬間、発掘されたのが大量のエロビデオ。独身寮のお決まりね。したら、先輩が同期を押さえつけて『21時35分、逮捕』って言いながら、私にそのビデオを大音量で再生しろって促すの。3人の四畳半から喘ぎ声が響き渡ると、二人で涙流しながら大笑い。その横で一人だけが犯された女みたいに生気を失った表情で静かに泣いてる。その姿を見て、また二人とも大笑い。で、ゴミ箱に入っているティッシュの量を確認しながら『オマエ、このエッチシーンで何度ヌイとんのや。好っきやなあ。補欠みたいに他人のプレイばっかりベンチで見とらんと、たまには自分も試合に出とうなるやろ』って、先輩が追い打ちをかけるように私の同期を罵り倒してたら、背後で明らかに人の気配がするの。イヤやったけど、恐る恐る廊下のほうを振り返ったら、磨硝子の小窓にベタ~っと誰かの顔が張り付いてるやん。まるでホラー映画よ。今度は私のほうが生気を失った表情で『誰か居はりますか?』って、声にならへん声を絞り出したら、その途端、ガラガラって扉が開いて『やっぱりオンナの匂いやったか』って、パンツ一丁の寮長さんが立ってはったの。『オレの部屋、この上や。ここの住人は禁煙に成功した人間みたく、ニオイに敏感なんや。女人禁制、火気厳禁の廊下やさかい、ちょっとでもオンナとメシの匂いがすると、“おっ、誰かがカノジョを連れ込んでヤッとるな”ってセンサーが作動してな、あっちゅう間に匂いの元になっとる部屋を突き止めて、様子を見物に来るんや。今夜は声まで漏れとるから期待しとったのに、なんや、ビデオか』って寮長さんが股間をイジりながら言わはるもんやから、全員で大笑い。そりゃそうよね。共同洗面所の蛇口を捻っただけでも、死にかけた蝉みたいな鳴き声あげて水が流れ出すオンボロの寮やもん。何処で誰が何をしてるかなんて、離れた部屋からでもおおよそ察しが付くわよね。
 とにかく確実に先輩と私を寮から追い返したかったのね。襲撃を受けた私の同期がご丁寧にクルマを出して家まで送ってくれたわ。けど、事件はその後も起きるの。ワインを空けて暫く興奮してた二人やったけど、時間が経ってから段々気分が悪くなったの。“くっ、クルマの中ではしないでぇ~”って、豹変した彼氏からカーセックスを強要されている女みたいな悲鳴で懇願する同期に向かって『すまん、ゲロラ襲撃開始』って先輩が告げると、二人してそれぞれ左右の窓を開けてね、すぐさま外に向かって顔を出したわ。後ろを走ってたクルマは驚いたでしょうね。いきなり前のクルマの両側からウーパールーパーみたいに妙なモノが飛び出るんやもん。ハンドル握りながら泣いている同期がリアワイパー動かし始めたのを見て、スッキリした二人してまた大笑い。この夜のあと、二日酔いの日曜日を挟んで、月曜日の朝、寮長さんにも先輩にも同期にも何食わぬ顔で『おはようございます』って挨拶が出来たとき、自分の二重人格ぶりに震えが止まらへんかった。」
 
 さんざん持論や失態を嬉しそうに披露しておいて、いざ話し終えると、今さら自分に対する印象や評価を気にしたのか、春恵さんは「ねっ、私ってイヤなオンナでしょ。柄が悪いのは下着だけやないの。」と、わざとらしく下品に言っては自嘲する。けれど、私は飾り気のなさ過ぎる春恵さんの魅力に次第に取り憑かれていった。
 そろそろ彼女にきちんと自分の想いを伝えようとした矢先、春恵さんのほうが口火を切った。「言っとくけど、私、あなたとは結婚しないからね。あなたのことは尊敬しているし、あなたといる時間は楽しいけど、それと結婚とは別。ウチの会社って、転勤先の土地に慣れた頃、すぐに新しい土地へ転勤でしょ。私は一生京都から離れたくないの。大阪ですらイヤなの。ましてや東京で生活なんて無理難題なの。それだけはちゃんとお断りしておこうと思ったの。ごめんね。」・・・京都の街も春恵さんも好んでいた私は呆然とした。同じ会社だから共通の話題は豊富だった。でも、転勤が宿命という社内事情を前にしてしまうと、二人は京都の公家と江戸の町人くらい会話が噛み合わなかった。
 帰宅しても、これといってすることも無く、報道番組をボーっと視る。勝ち目があると思って出馬を決めた選挙に苦戦し、巻き返しを図ろうと街頭演説に熱心な男の姿が取り上げられていた。前回のデートでは、私をすっかりその気にさせる台詞で誘惑してきた彼女が、その直後に翻って私の立候補の扉を閉ざしてしまった。オトコが本気の時、オンナの気晴らしの出汁に使われるのはキツい。自分の汁は一滴も出せないのに「出汁」にされたという私の皮肉な絶望感が京女の味を高めたのか、その後、春恵さんは地元の人と結婚した。そして、産休・育休を取って、ちょっとだけ復帰してから退職した。二重人格らしく、彼女が最も嫌っていた女性社員の生き様をちゃっかり自分自身で実行してから会社を去ったのだった。しかも、三重県へ移住したダンナの両親に気に入られたとか何だとかで、あっさり京都を離れてしまった。一方、私のほうは東京へ帰るどころか転勤の辞令は全く下ることがなく、結果的に一度も結婚できず20年が経過し、あれだけ春恵さんが離れたくないと切望していた京都にこのままずっと住み続ける見込みである。チャンスを逃したとかいう感情より、そこはかとなく切なかった。フラれた理由を問うのは野暮だし、真相を知ったところで落選が当選に転じるわけでもない。30代半ばにも差し掛かると、失恋の鈍痛が屁とも感じなくなるまでの快復期間も短くなり、私が彼女に投げかける言葉は「ありがとう」、ただそれだけだった。ましてや40代半ばを通り過ぎると、春恵さんの顔の輪郭や一重の瞼すら朧気にしか思い出せなくなり、当時の気の迷いが如何に小さなものであったかを自覚し、自らのその後の人生の軌道修正に安堵するのであった。
 
 「生グレープフルーツサワーって、甘いんか、酸っぱいんか、よう分からへんドリンクやんか。せやけど、やっぱり甘いのよ。歳とって、辛いお酒に舌が慣れくればくるほど、甘く感じてくる。人生と同じ。始めのうちは酸っぱかったことも、年月やったり経験やったり、そんなんと共にどうでもよくなって、ぜ~んぶ飲み干しちゃうわ。」・・・タフな彼女は、酔うと哲学的になり、その威力が増す。彼女自身が云っていた通り、やはり酒とは有難い魔物である。いくら女に振り回されようと、この魔物の魅力だけは常に安定している・・・つづく

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