見出し画像

【小泉八雲と教え子たち】


【小泉八雲と横木富三郎】

ハーン(小泉八雲)が勤めた島根県尋常中学校時代に最も愛された生徒の一人、横木富三郎。
彼が下宿していたと言われる片原町の「水明館」

写真はイメージです。

危篤の病床にある生徒(横木富三郎)が、最後の願いとして「学校(島根県尋常中学校)が見たい」と言うので、夜 下宿から爺の肩に背負われて校舎のシルエットを星明かりで眺めた。
横木富三郎は、出雲市古志町で生まれた。(1874年/明治7年4月)
1891年/明治24年12月17日に亡くなる。
享年17歳

『へるん先生生活記』梶谷泰之 著
pp.223〜238.
横木富三郎とそのノート より

『へるん先生生活記』梶谷泰之 著
恒文社 (1998.09.26)

【英語教師の日記から】

『明治日本の面影』より
英語教師の日記から
松江 1980年(明治23年)9月2日
私は松江の尋常中学校と師範学校で、一年間 英語教師として勤める契約を結んだ。
と云う書き出しで始まる。
「英語教師の日記から」pp.09〜101.

『明治日本の面影』小泉八雲 著
平川祐弘 編
講談社学術文庫 (1990.10.10. 第1刷)

教え子たちの記述は、18節の pp.54〜61.に書かれています。
書き出しより
私の好きな生徒が各クラスに2〜3名づついる・・・(略)
小泉八雲の記憶の中に永く残る生徒として、次の5人の名前が記されています。
石原喜久太郎
大谷正信
小豆沢八三郎
横木富三郎
志田昌吉 
(注) 原文には大谷正信以外は、姓しか書かれていない。また、この生徒たちのエピソードは、小泉八雲がアレンジしたものであり、必ずしも事実どおりの話ではない。p.91 (注42より)

『西田千太郎日記』より


『西田千太郎日記』全一巻
島根郷土資料刊行会
1976年(昭和51)6月 発行

p.135より

明治24年12月23日 廿三日(時々みぞれ)洞光寺に於いて横木富三郎(四年級)志田昌吉(三年級)妹尾丑之介(三年級)3名の「追悼会」を行なう。

注) 小泉八雲は明治24年11月15日 熊本に出発していた。しかし、追悼会のために松江に帰って来ています。

【参考資料】『小泉八雲新考』

横木富三郎の親友に小豆沢八三郎がいた。
横木富三郎の病中の言動を含め、小豆沢八三郎からの話を基に小泉八雲の創作であろうと云う見方がある。

2024.05.07.