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自分を諦めることで、自分になれた気がした

今年の振り返り。


僕の中にはデザイナー(アートディレクター)という職歴とマンガ家という職歴があるわけだけど僕はこれまで、この2つの仕事は全くの別物だと思っていた。なのでコルクに入った時はまた新しい仕事に就いたという感覚だった。だから自信喪失したりしながら、鬱になったりもしたのだろう、と思う。

  
マンガの主たるものが、自らの中にある感情体験を物語の形でアウトプットするものだとすれば、

デザインの主たるものは、他者の伝えたいこと、伝えたいのに伝わらなくてもがいていることをクリエイティブの力を活用して伝える仕事だと思っていた。

僕の中で思っていたマンガとデザインは、思考の出発点がちがうものだった。

しかし、今年考え方が変わって、ものすごく気持ちが整理され、人格まで変わったような気さえしている。笑

まず、

自分の中にある感情を吐き出しまくっているホリプーと、誰かが伝えたいと思っていたがうまく伝えられないことを伝えてあげようとするホリプー、どちらの方が自分で自分を愛したいのだろうか。

この問いは即答で後者だった。

僕がデザインを学んだ美大の恩師の教授は、課外授業で商店街の皆さんと一緒に商店街復興のイベントや福祉関連のイベントの企画、運営、デザインを行っている人で、僕も在学中かなりそこに注力した。
その中で僕が強く感じたのは、デザインが足りないことで、伝えたいのに伝えられない人が社会にはたくさんいるということ。もう少しだけでも思いや熱が伝われば、夢に一歩も二歩も近づくのに、コミュニケーションがうまくいかずその夢が絶たれてしまう人がいる。そのことが僕にはあまりにももったいないと思えた。

その時が僕にとってデザインしたいと強く感じた原体験なのだけど

逆説的に言えば、マンガをはじめたとき、僕の中にはそれほど強く伝えたい事が見つからなかった。表現だけ模倣して、中身はなかった。伝えたいことがある人に 強い尊敬を抱いた。

結局は、僕の中には伝えたいことなどほとんどない。いや、あるのかもしれないが、強くはない。

誰かが作りたいもの、形にしたいもの、言葉にしたいもの、見せたいもの、表現したいもの。そのお手伝いしたり、あまり人が気づいていないことをこれって良くない?と伝えたり、そういうことに喜びがある。

コルクに入って、マンガに挑戦して、やじー、ふむさん羽賀さんと一緒にネームを描いたりしながら、自分の描くものはなんか中身がないな…と劣等感に襲われる日々もあったが、

この思考の整理によって、自分には自分の適性があること、その地平から見た景色は、他者からは見えないものもあるということを、チーム制作やさまざまな企業案件を通じて、この1.2年、繰り返し実感した。

目線の違う仲間たちと協力しながら何か新しいものを届けることがらできたなら、そのほうが僕自身はきっと楽しくこの仕事を続けられるだろう。と思う。


こういう整理できたことが今年1番の収穫だったんじゃないかなぁ。

マンガ家のようでいて、デザイナーのような、ある種編集者のような、ディレクターのような。どれでもあり、どれでもない。

明確に定義されるようなものではなく、それらの中間のようなもの、それらの間にあるもの。それが僕のなりたいものかもしれないな。

などと考えながら今年はとりあえず休も。
また来年続きを考える。

みなさま本年はたいへんお世話になりまして、ありがとうございます。


なにとぞ、よいおとしをー

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