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「戦後○○年」はもう一つの元号だった件

 今年も終戦の日が近づいてきました。もう今年は戦後73年。
 以前別なところでも触れたことがあるのですが、今の日本では、「戦後○○年」というのが元号と同じような役割を果たしていると言えないでしょうか?
 今年は「平成30年」であると同時に、「戦後73年」でもあるわけです。ちなみに昭和20年は戦後0年。

 世代が若くなるにつれて実感は薄くなるでしょうが、「戦後○○年」という時代の区切り方をするということは、当然ながら「第二次世界大戦が終わってからもう○○年になる」ということで、これは「あの戦争が終わってからこれだけ日本は復興し経済成長した」という意識にもつながるでしょうが、何よりも「戦前戦中の体制が終わり、戦後民主主義の世の中になってからこれだけ年を重ねた」という意識を呼び起こすという点が重要だと思います。

 平成の世代になるとピンとこないのですが、昭和時代は、一方では「昭和XX年」という形で、昭和天皇が在位して同じ元号の年がつながっているかと思えば、もう一方では「戦後○○年」という形で、1945年以降、実質的にもう一つの元号が時を刻んでいた時代だったのです。

 そして多くの日本人は、「1945年(=「戦後0年」)より前の戦争の時代のようにならないためには、どのようにするべきか」という観点を、意識的か無意識的かは別として、頭の中に刻み込んでいたように思います。

 いわば1945年=戦後0年が、多くの日本人にとって「原点」だったのです。戦後生まれの世代も、教育やメディアでこの観点を学び取っていました。

 この「原点」より前の時代は、悲惨な戦争があり、また軍部が幅をきかせたり、女性に参政権がなかったり、天皇が神聖にして侵すべからざる存在だったりで、戦後民主主義とは異質な時代として認識されていました。
そして、戦後の新しい時代になっても、その過去の名残や古い慣習・思想が日本にまだ残っているということで、それを克服しなければならない、という言説も普通に受け入れられてきました。

 これが過去のことのような書き方をするのは、そういう意識が急速に薄れてきているように思えるからです。
 実際問題として、戦争を体験した世代がどんどん少なくなり、さらにその子の世代までも年老いている時代になると、1945年というのはもはや何かの「原点」ではなく、単に第一次大戦や日露戦争が終わったのと同じ、年表上の出来事の一区切りの一例くらいにしか思えなくなってくるかも知れません。

 果たしてそれで良いのかどうか。国や社会の原点を意識し続ける必要があるのではないか。例えば先日ちょっと触れたように、フランスがフランス革命を、米国が独立を原点と意識するように、日本は1945年を原点として意識するべきではないのかと思うのですが、これは改めて考えてみたいと思います。

よろしければお買い上げいただければ幸いです。面白く参考になる作品をこれからも発表していきたいと思います。