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『日本国紀』が隠蔽する不都合な真実!

前回に引き続き百田尚樹『日本国紀』について。

『日本国紀』がなぜか触れない歴史上の重要事項

 当たり前の話ではありますが、どんな歴史書も過去のすべての出来事を無限に記載できるわけではありません。『日本国紀』もその点は当然同じです。
  ただ『日本国紀』の場合、単にすべての出来事を書いているわけではないというだけにとどまらず、重要なはずの歴史上の出来事であっても書いていないことが沢山あるという状態になっています。

 近現代に絞ってみても、『日本国紀』に書いていない主な歴史上の出来事としては、例えば、教育勅語・足尾銅山事件・米騒動・シベリア出兵・治安維持法・大政翼賛会などがあります。これらの出来事は、一般的な歴史教科書ではどれも間違いなく書かれているはずです。

『もう一度学ぶ日本史』(育鵬社)との対比

 これに対して、既に『日本国紀』を買って影響された人の中には、「今の学校の歴史教科書は、自虐的で左寄りになっているから余計なことを書いているんだろう。」という人がいるかも知れません。
 しかし例えば“右寄り”の中学歴史教科書ベースの本として話題になった『もう一度学ぶ日本史』(育鵬社)という本にさえ、これらの項目はすべて書かれているのです。(後者を特におすすめするわけではありません)

【『日本国紀』と『もう一度学ぶ日本史』】

 ちなみに『もう一度学ぶ日本史』は、『日本国紀』の半分程度の分量しかありません。『日本国紀』は、半分の分量しかない『もう一度学ぶ日本史』ですら書いている多くの重要な出来事をなぜ記載していないのでしょうか?

なぜ教育勅語を取り上げないのか?

 まず教育勅語から考えてみましょう。そもそも論でいえば、『日本国紀』が教育勅語を無視しているのは、かなり意外な感じがします。保守派の論客として知られる百田尚樹氏なら、むしろ教育勅語は超重要事項であって、無視するどころか、逆に詳しく書いて賛美する方が自然ではないかとさえ思えます。(現に『もう一度学ぶ日本史』では、右寄りの教科書らしく賛美しています。)それなのに『日本国紀』では、なぜか教育勅語をわざわざ無視しているのです。これはどういうことでしょうか。

 理由としてはたぶん二つ。
 一つは、『日本国紀』の基本スタンスとして、戦前の大日本帝国は軍部が暴走した一時期を除いてはかなり民主的で自由な国だったかのように主張しており、天皇が神格化されていたことも否定したいので、まさに国民を天皇の忠実な臣下として教育するために作られた教育勅語に下手に触れると、都合が悪いということなのでしょう。何しろ戦前の日本の小中学校では、わざわざ奉安殿という建物が作られて、天皇の写真(御真影)と教育勅語がそこに納められていたくらいなのですから。

【戦前の奉安殿 (ウィキメディアコモンズより引用)】

 もう一つは、前回触れたように、『日本国紀』は「戦後改悪史観」に立っていて、敗戦後、大日本帝国がGHQによっていろいろな制度面で改悪され、さらに日本人がGHQによって「洗脳」されたとまで主張しています。
 ここで教育勅語について触れてしまうと、国民に対して抑圧的なものとなっていた教育勅語が戦後廃止されたことは、逆に日本にとってプラスですから、「改悪」とは言いにくくなってしまいます。
 (もっとも「教育勅語が廃止されたのも戦後のGHQによる改悪だ。教育勅語は今でも残して国民に教え込むべきだった」という主張も、開き直ってやろうと思えばやれたはずですが、たぶん百田氏にはそこまで主張する度胸はなかったのだと思われます。)

 おわかりでしょうか。
 『日本国紀』は「大日本帝国がGHQによって改悪されて堕落したのが戦後の日本」という視点で書かれていますから、逆にいえば、GHQによって改革されて国民のプラスになったと思われるような要素は、できるだけ書きたくないわけです。そうなると教育勅語については触れない方が得策だと百田氏が考えたとしても、不思議ではありません。

治安維持法を無かったことにしたい理由

 治安維持法について書いていない理由もこれでわかります。言論や学問の自由の弾圧に使われた治安維持法が制定されたのは大正時代(1925年)であり、「昭和になって軍部の暴走で自由が抑圧された(=軍部が暴走する前は、自由は抑圧されていなかった)」ということにしたい『日本国紀』の主張とは辻褄が合いません。
 さらに戦後、GHQの指揮のもとで治安維持法が廃止されたことにより、国民の自由に対する大きな抑圧要素が取り除かれたわけですが、「GHQは日本にひどいことをした」というふうにしたい『日本国紀』にとっては都合が悪いわけです。

【治安維持法により検挙されて獄死した2人の哲学者:三木清と戸坂潤】
 
 大政翼賛会も、別に軍部が政党を無理やり解散させて作ったわけではありませんから、できるだけ軍部だけが悪かった(他は悪くなかった)ことにしたい『日本国紀』としては、面倒な材料だったので放置したということでしょう。

米騒動とシベリア出兵も「不都合な真実」

 一方、米騒動を無視したのはなぜでしょうか。恐らくこれは、民衆が社会のあり方に不満をもって立ち上がるような出来事は、できるだけ書きたくなかったからでしょう。百田尚樹氏にとって、戦前の大日本帝国は、できるだけ民衆が不満を持たない良い国であってほしいのです。だから米騒動も、さらにいえば足尾銅山事件も無かったことにされたのです。

 シベリア出兵(大正時代)について書いていないのは、大日本帝国の軍事上の悲惨な失策は、昭和の軍部の暴走の時期以外はできるだけ無かったことにしたいという願望の現れということでしょう。

不都合な真実を無かったことにする『日本国紀』は右派教科書より劣る

 このように『日本国紀』は、「大日本帝国は良い国だったのに、軍部が暴走したため戦争に突入し、戦後GHQによって改悪された」という史観にとって不都合な歴史上の事実は、例えそれが明治天皇が作らせた教育勅語であっても無かったことにするというスタンスであり、右派教科書の『もう一度学ぶ日本史』ですら書いていることがたくさん抜け落ちている本だということになるのです。


よろしければお買い上げいただければ幸いです。面白く参考になる作品をこれからも発表していきたいと思います。