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無駄=荷物が何もない状態のこと

「無駄=余計なこと」という認識が一般的だと思うけれど、昔はそうでなかったという話。

無駄とは「駄が無い」ということだが、「駄」というのは馬に荷物を積んでいる状態のことだ。それが「無い」、つまり、馬が何も運んでいない状態のことを無駄と呼ぶ。つまり、馬とは荷物を載せてなんぼ。馬に荷物を載せずにいることは、獲得できるはずだった利益を逸しているという意味になるのだ。

それがだんだんと、無駄というのが余分なもの / 行為を指すようになっているのが面白い。まあ大枠でみると、「獲得できるはずだった利益を逸している」という状態ではあるけれど、もっと手前のもの / 行為が無駄と見做されているのではないか。

もともとの意味で無駄と捉えるならば、かつて馬だったものは、時間に置き換えることができる。

富める者もそうでない者も、人に与えられている時間の量は同じだ。その時間に、僕自身、意図を込めた「駄」を載せられているだろうか。

意図を込めた「駄」というのが大事だ。極端なことをいえば、1時間に100万円稼げるような仕事があったとしても、それは僕にとって良い「駄」であるとは限らない。1時間に1,000円しか稼げなくても、あるいは1時間で1銭も稼げなかったとしても、僕にとって良い「駄」に代えることができるかもしれない。

創業して1年半が経って実感するのだけど、創業当初は、何が僕にとって良い「駄」なのか、イマイチ分かっていなかった。

いまは、僕にとっての「駄」の正体が明らかになりつつある。

もうちょっと言語化しなくちゃいけないけれど、「駄」というものを起点にあれこれ考えてみると、背負い込むべき「駄」の輪郭が見えてくる。

3年後振り返ったときに、その「駄」は見当違いだったという可能性も無きにしも非ず。でも、いま背負っているものが「駄」なんだと、ある程度納得している。

「駄」をきちんと積み込んでいるかは別として。無駄にはならない人生を、しっかりと送ろうと思うのだ。

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毎日「ふつうごと」で更新しているエッセイでも、無駄について考えてみました。無駄って何なんでしょうね。


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