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星野源×若林正恭「オールナイトニッポン55周年記念ジングル」を聴いて、ちょっとだけモヤモヤしたこと。

かっこいいし、ラジオへの愛が伝わる、理想的なコラボレーション。

最初に聴いたとき、「ふたりの才能は、どこまでも高いところまで登っていくなあ」と感心してしまった。目を凝らして、歌詞に潜んでいる「オールナイトニッポン」の出演者も探したり。気付けば何度も、彼らの31秒間を繰り返し聴いていた。

2021年9月に披露された「Pop Virus feat.MC.waka」のことも思い出したりして。

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でも1日経って思ったのは、「いまの時代っぽいな」ということ。

オールナイトニッポンに限らず、ラジオリスナーは、ラジオに対する愛情が深い。テレビが大衆向けのメディアである一方、ラジオは知る人ぞ知るという特性を持っているからだ。radikoや各種Podcastなど、聴き方が多様になってきたとはいえ、視聴の「量」だけいえば「テレビ>ラジオ」という構図はずっと続いているし、きっとこれからも変わらないだろう。(変わらない方が良い)

オードリーの若林さんが、綴った歌詞は、「愛情の深さ」を意識したものだ。

「過去や現在、これだけの面白い番組があるよね」とリスナーに提示する。そもそもこれは、市販される楽曲でなく、ラジオ内のジングル(コマーシャルの開始や終了、楽曲・コーナーの切り替わりなど、番組の節目に挿入される短い音楽のこと、Wikipedia参照)として使われるもの。

だから、それで良いって意見もあるだろう。正しい。

向き合うべきは、ラジオリスナーでOK。そうだと頭では理解できるのだけど。

でも、僕がモヤモヤと違和感を抱くのは、ふたりが作ったジングルは、閉じられた世界における作品という評価を超えない点だ。

星野源、若林正恭という才能が、閉じられた世界だけで「すごい!」「面白い!」と評価されるに留まっても良いのだろうか。

いやまあ、星野さんは音楽家、俳優として、若林さんはお笑い芸人、タレントとして、開かれた世界でも活躍している。物事にはオンとオフがあるように、「オフ」だってあっても良いじゃないか……。そう割り切ることもできる。

でも、控えめにいって、このジングルは音楽も良い感じだし、若林さんはもっと開かれたリリックだって書けるはず。

もちろんこのジングルも素晴らしいけれど、閉じられた世界を想定された音楽の場合、コンテキストまで理解されて広く聴かれることはないはずで。

それが、もったいないと僕は思った。

2023年、世界はもっともっと開かれていく。そんな開かれた先で、才能が花開くのを、僕は見てみたい

そう思うのは、贅沢なことだろうか。

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これまでも、星野源さんの作品を聴いた感想をnoteに記しています。

今回はネガティブな印象を感想として綴りましたが……もし良ければ読んでいただけると嬉しいです。

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