見出し画像

北欧ウォーク13 ストックホルムの建築文化財と福祉の上手な組合せ

ストックホルム自治体の北のはずれ、いまの中央駅から北へ1kmあたりの東西の地域ヴァーサスタンは、数年前に近郊電車と地下鉄の乗換え駅ができ、大いに賑わっています。1900年前後に建てられた庶民的な住宅が多く、駅の周辺の1階には商店やレストラン、バーが軒を連ねています。童話作家のアストリッド・リンドグレーンはこの地域の中心地のアパート、1階にフランス料理店がある建物に作家になる前の1941年に入居し、2002年に亡くなるまで住んでいました。いまは博物館になっています。


建築文化財のひとつ、カタリーナフュセット

リンドグレーン博物館の西側は広い公園ヴァーサパーケンです。公園の南側には、病院や福祉施設が集まっています。それも保育園から老人ホームまで、さまざまな施設があります。その中の一つ、障害者が働くカフェ・カタリーナフュセットは、よくランチさせてもらいます。
カタリーナフュセットは宿屋として、1767年に建てられました。鉱水を使って、食事も出していたようです。ヴァーサスタンの西側にあったローストランド陶磁器工場に出入りする商人たちが利用し、夏は旧市街ガムラ・スタンの狭い家に住む裕福な家族が遊びにきていました。室内にはビリヤード、庭にはアイススケート場が造られ、周辺の人たちが手作りのお菓子を売りにきました。
やがて交通手段が発達し、人々はもっと便のいい場所の宿屋を求めました。1865年にカタリーナフュセットは宿屋から病院へと変わりました。

冬でも「感覚の庭」の風景が楽しめる温室

1879年にカタリーナフュセットの南側にサバツベリィ病院が開業し、患者たちが移りました。カタリーナフュセットは、貧困者の救済アパートになりました。当時は、貧しい人々はいわゆる貧困住宅に住むことが多く、貧しい高齢者と障害者が、お互いに世話をしなければなりませんでした。さらに20世紀の初めには老人ホームになりましたが、1970年代に新しい設備基準に合わず閉館しました。1957年の改修の際に、外壁の漆喰の下から建設当時の色が見つかり、スウェーデンらしいパステルカラーの朱色に戻りました。いまはストックホルムの歴史的建造物を管理する会社の所有になり、市に貸し出されています。市はカフェ・カタリーナフュセットに半分、精神障害者のデイケアで出会いの場バルデルに半分を使っています。

認知症の方たちが過ぎし日を思い出す、外干しの洗濯物

指導員のエリノア女史に教えてもらいました。1階の半分が、食堂と調理場、作業所になっています。
職員は12人、利用者は25人で、ダウン症、知的障害、精神障害、自閉症を持つ人たちです。カフェのお客は、近くの施設の職員、公園に遊びにきた人たちです。もちろん利用者もここで食事をとります。職員の就業時間は平日の8時~16時、利用者は9時~15時。
ここの仕事はカフェだけではありません。すぐ前にある「感覚の庭」の掃除や草取り、その隣にある重度精神障害者アパートの掃除と洗濯も請け負っています。

カフェのある日のランチ。福祉施設とは思えない色どりと味

カフェの仕事は、パン粉やパイ生地をこねる、食材を洗う、切る、調理補助、ドレッシング作り、スープ作り補助、コーヒー淹れ、食器洗い、食器を揃える、砂糖やミルクの用意など、数えきれないほど。利用者には毎日違う仕事をしてもらいます。それが曜日の感覚につながります。月曜は食器洗い、火曜はスープ作り、水曜はコーヒー作りと、1人ずつに仕事を振り分けます。それでいて、毎週同じ作業を繰り返すことで、食器洗いしている今日は月曜とわかるようになります。仕事の写真や絵を見せ、文字も書いて読み上げて言葉で説明します。カフェ以外の仕事、掃除や洗濯、草取りについても、同じように教えます。職員は調理師であるとともに、指導員の勉強もします。
担当する仕事は、できるだけその人に合うものにしてもらいます。カフェ仕事は時間に追われます。お客さんが待っているし、急がなければなりません。利用者にとってストレスになりますが、やりたがる人もいます。働き方はその人にあったものにしています。一週間はカフェ、次の一週間は庭仕事としたり、午前は掃除、午後はカフェとか。知的障害が重い人は、音楽を聴いたり、歌ったり、踊ったりして過ごします。
「感覚の庭」はこの周辺にある高齢者施設、認知症グループホームの住民のためにつくられたものです。バラやラベンダーなどの香りを漂わせる植物、色とりどりの花、風にざわめく葉音などを楽しみ、心をのびやかにさせます。この中の掃除、草取りは障害者にとっても気持ちのいいものです。みんなやりたがります。
給料はほんのわずかです。障害者年金だけで十分に暮らせるので、おしるし程度。楽しく働き、満足してくれればいい。

6月のカタリーナフュセット。左半分がカフェ。右端の椅子に座る方がバルデルの利用者

カタリーナフュセットは市の建築文化財の一つですが、そんな貴重な建物の中で働いていると自覚している利用者はいないでしょう。私だって250年もの歴史をもつ建物でランチしていると自覚しているわけじゃないから、どっちもどっちかもしれません。しかし、市は、そういう建物を福祉施設に利用することに、意味を見出しているはずです。この街の建物を彩るパステルカラーは、そんな昔から人々の心をとらえ続けているのです。文化の保存と、福祉の場、医療福祉施設職員のランチ提供を重ねている。さらに細かく見ると、カフェの利用者は、高齢者たちの息抜きの公園「感覚の庭」の手入れをしているし、重度精神障害者の衣類の洗濯や住宅の掃除もしている。19世紀の終わりにカタリーナフュセットで行われていた、障害者と高齢者の助け合いが、いい意味をもって、いまも生きています。そして2019年5月に、カフェの隣に精神障害者のデイケアが移転してきました。ここでもかつての職員で、定年退職した婦人が、今も週に数回精神障害者の支援にきています。彼女の生きる張りの一つになっているそうです。
一つの建物の保存にいくつもの役割を担わせている。地域の資源を上手に使っています。この発想がいいですね。

緑に囲まれた高齢者住宅


この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?