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中国の「農民工」が抱える絶望は、私やあなたが抱える絶望と地下茎でつながっている。でも、傷が絆をつくるのであれば私たちは生きていける。


JJさん、こちら一読おすすめします。
シュウキンペは、西側にオラついとる場合ちゃうぞ。

読んだよ・・・骨太の取材記事ですな。

読みながら思ったことといえば、中国で起きているこの悲惨な光景、すでに日本でも起きているし、これからさらに増え、酷くなっていくとしか思えなかったよ。

人間にとって真っ当に働く場所や、居場所がどんどんなくなってきている。

「弱者に共通した運命のよう」と文中にあったけど・・
地球の隅々までこのような光景はあるんだろうね。

家族を捨て、社会を捨て、最後に自分も捨てる「三和ゴッド」とか、自分のことだとしか思えない。

最後には「俺がいなくなれば苦悶もなくなる」という捨て鉢。

流体のように都市を循環し、排出され、外部コスト化され、不可視化されて使い捨てられる。声も聴かれず、姿も見えない、人間の影としての労働者。

抵抗と権利主張の場がいるよね。

しかもさ、こういう人たちのおかげで都市が発展し、資本が肥え、国が栄えているのに、何一つ顧みられないというのがね。

仕事や金がなかったとしても、そばに仲間がいれば違うはずなのだけど・・・それすらなくなると、全てを捨てるしか無くなってしまう。

前にも話したけど、厳しい家庭環境、対人関係、社会生活を送っているのも「構造」の問題であって、個人の努力に還元できないのってコレよね。

本文最後の方に、思いの丈を聞いてほしくて集まってくる農民工の描写があったけど、そうやって「話を聞いてくれる対人関係や居場所がない」ことが、貧困とその境遇の再生産の原因だよね。

無敵の人とか、ジョーカーなんて言われているやつも。

日本でも自己救済に走る人、無敵の人が増えてる。

それに対する社会の側の不安や不満、無理解が進んでいけば、さらに締め付けは増していく。

内圧の高まりは、既存の政党政治に対する不満を呼び込み、ファッショ的なる政治を生む土壌になっていく・・・これはいつか来た道の、反復。

柄谷がいうように資本−ネーション−国家の構造が変わっていないのだから、条件がそろえば、歴史はまた回帰してくる。

トマ・ピケティの著作『資本とイデオロギー』も、その見取り図からだよね。

資本や国家のナラティブ以外に語られるナラティブがいると思う。それは、弱者に共通した運命を語りなおすこと。

苦悶も剥奪もあったけれど、「それだけではないんだ」っていう物語がいるよね。

傷が絆をつくるなら、まだ生きていける。

「傷が絆をつくるなら、まだ生きていける」

・・・至言ですな。

小さくてか細いナラティブを持ち寄って共有する。互いが困っていることを、助けたり助けられたりしながら生きていく。

そんな繋がりがなければ、ほんまに全部、捨てていく羽目になっちまう。

ほんとにそうやね。

てか、この記事のサイト『辺境通信』って中国国内メディアなんかな?

中国のネットメディアを翻訳しているみたいだから、そうだと思う。

骨あるし読ませるよね。地べたを這うような力を感じるよ。これを中国国内でやること自体、相当な胆力がいる。

本当にね。
ジャーナリズムって「届いてくれ!」っていう必死さや価値を伝播させたい、公共を信用してなされるものだと思う。

中国人民を信用して放たれた「矢文(やぶみ)」なんだと感じるわ。

たしかに。

公共を信じているから、ひいては人間を信じているからこそ、これは伝えにゃならんとなる。

んだんだ。

発信者は、中国共産党批判の文脈かも知れないけど、それ以上の広がりがある記事だよね。

日本でも米国でも欧州でもアフリカでも記事を読めば、「これ俺じゃん、私じゃん!」ってなる人は、たくさんおるはずなんよ。

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