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最後に語るよ~

現在上映中、ガンダムSEED FREEDOMのネタバレを含みます。当時の亡霊は見てから来い。

前提

シリーズものってのは原初にシリーズにされるだけのヒットを飛ばした一作目ってのがあって、そこから世界を広げて制作陣を広げて変えて物語を捏ねくり回すので、長く続けば続くものほど面倒くさくて荒れやすいのが世の摂理。ガンダムシリーズなんてもんは約四十年間もバンダイがオタクの足元見ながらドル箱として担ぎ上げてるコンテンツなのでもう怨念殺気に満ち溢れた魑魅魍魎が一生内乱しながら文化を育んでる訳です。滅びた方が良いと思います。

俺もその魑魅魍魎の一人にさせられたきっかけなのがこのガンダムSEEDシリーズで……ってのは嘘でガキにとって1年の空白は重く種死はリアタイしてなかったけど、まあ最初の方に見たのは間違いないので思い出には深く残っていて。大体二十年位前に∀が泣かず飛ばずで衰退が見えてきたガンダムを金の力でドル箱に戻した悪の権化がこのシリーズなんですが、その悪影響たるやサイバーの頃から監督の嫁さんがいつでもセットで脚本してることにすら悪鬼羅刹のツラ構えで人格否定されてましたね~。クロアンも結構良かった訳だし(一応クリエイティブプロデューサーとかいう謎立ち位置だったけどヴィルキスのコクピットとかまんまSEEDだったし何かしら噛んでるんでしょう。知らんけど)一緒にやんねー方がいいんじゃないですか?ってのを考慮しても全員後方ムルタ・アズラエルの顔つきをしていたのでシンプルに民度の良くない界隈だった。滅びた方が良いと思います。

とはいえ、当時の悪熱を差し引いてもバンク多数、総集編多数でお話は遅々として進まずキャラの行動はハチャメチャにヘイトを溜めるクソアニメことSEED DESTINYの続編に期待するのは本当に難しかった。マジで厳しかった。ガンダムの名前がつく映像は全部見ないといけないよう薬物投与されたエクステンデッドの俺でもステラの顔で泣いてた。ブロックワードだった。

そういう複雑さを抱えて劇場に行ってきた。

感想

馬鹿が作りました、この映画。馬鹿が作ってますよ。馬鹿。今までのシリアス顔どこ行ったんだよ。

良かった❗……んだけど素直に良かったって言いづれぇよ。それに、ここまで時間空けて一回落ち着いて公開って形にしたから良かったけど、そのまんますんなり公開だったらやっぱり叩かれてたんじゃないかな。遺伝子操作したくらいで直接精神攻撃出来るわけないしいつから分身は普通に攻撃できるようになったんだよ。

新設定の詰め込みに関してはTVシリーズでやった方が良かったんじゃないの派もいると思うんだけど、そこは多分説明されてもオカルトの域を出ないと思うので、劇場版の勢いで良かったんじゃないかな。スーパーコーディネイターの上はΖガンダム以降のサイコパワーばりばりニュータイプだぜ!以上のそれってないだろうし。宇宙クジラに関しては……多分、捨てたんでしょう❗

前シリーズからのメインキャラがあのバカ脚本とマッチしていたのが本当に良かったね。キャラクタードラマはかなりスッキリ終わったように思う。ルナマリア以外にも尊敬できる先輩の下で動けるシンが健全に良いキャラをしていたし、結局カガリの下に収まったアスランは死ぬほど強かった。何あのクソバカ戦法は。出てきた当時から一筋縄じゃいかないような登場の仕方だったとはいえその辺で歌い散らかして、ラクシズのトップ張ってからもちゃんと活躍できてるように思えなかったラクスも、コンパスっていうちゃんとした所属ができたからか、選択を迫られる局面でかなり大人になった姿を見られたし、何より種死でずっと人間味が死んでたキラが綺麗事だけじゃない、多少傲慢で寝取られそうな最中も弱くて理想だけじゃどうにもならない時に喚き散らしちゃうような人間感を取り戻していたのが感動モノだったね。俺が結局SEEDで一番好きなのは大事な幼馴染だったキラとアスランがお互いに味方を殺してしまって叫びながら殺し合う所だったからさ。その業、人間味が、あの人間味の薄い種割れレイプ目を引き立たせるんだから。流石にそこまでは見れなかったにせよ、種死の頃の、結局キラを主人公にしたいのに建前上シンが主人公だからみたいな煮え切らなさがなくストレートにキラの葛藤が見れたのがGOOD。

SEEDシリーズといったら何より先にハチャメチャな人間たちがハチャメチャなことしだすのが持ち味なので、そこの決着を素直につけられたのがデカい。途中、どうせオーブが仕組んでやったんだろうがって滅茶苦茶疑われてカガリが苦労してたけど、過去を振り返るとそりゃオーブは疑われるだろっちゅーような行為しかしてなかったじゃん。痛くもない腹を探られてっちゅーけど激痛だった訳じゃん今まで。どいつもこいつも。そういうことをやるだろうな……ってキャラが今まで政策に関わってきたが故のコズミックイラってくらい、論理性よりキャラ性で動いているシリーズだったので、やっぱり決着点はキャラ同士の納得と成長しかなかっただろう。そこはシリーズの持ち味が出ていて凄く良かった。

アグネスについても、逆シャアのクェス感は否めないものの、ここにはハサウェイも徹底利用してこようとするシャアもいなくて諭すのがチェーンみたいなエッチで女のやらしさの塊みたいな女ではなく大正義ルナマリアだったので、かなり味わいが可愛くて良かったね。出した理由は多分、テーマと引っ掛けて必要としてくれる人を欲しがるキャラとして、ラクスは別に大丈夫だろうしなあ……ってことで引っ張ってこられたんだろうけど、こう、元ネタとの扱いの差に味が見えた。これから先こいつの激重感情って間違いなくルナマリアに向くよな。

ただ、良かったとこばかりじゃない。展開の転がし方も新設定も回収されなかった伏線も実はどうでもいいんだよ。物語の根幹、結論部分。ここには最初の種から依然として納得がいかないことだらけだった。

争いをなくす現実的な手段が提示できないって所を昔よく突かれてたような気がするが、そこはもう仕方ないだろう。富野の1stだって終戦と分かり合う予感だけを残して終わったし、それ以降の富野ガンダムは、人の業は、技術の使い方は、何より政治に関わる、現場を知らない「上」は一貫して変わらないだろうという見方で作られていた。あんなアクロバティックな最後を見せた逆シャアだって、そんなすぐに人は変わらないからこそ人の心の光を見せ続けなきゃなんないんだろうがというアムロの強い主張と相対してシャアにその人の心(業)が全部ダメにしていくんだよという本音を語らせていて、これを機に人は、この宇宙世紀は変わるだろうということにはついぞしなかった。

∀でようやく、技術すら一旦全ロストした超未来で人類はそれに漸近した、ぐらいの塩梅を様子を描けた訳で、コズミックイラぐらいの歴史レベルじゃまだまだ「いつか」に託して手を伸ばし続ける努力を見せるしかない。個人的にもそれは嫌いじゃない。誠実だ。

俺が気になったのは先に愛ありきで必要とされて初めてそいつが自分の生を自然に肯定できるって構造だ。それを愛される側の奴が争いをなくすメッセージとして推していくのは、かなり残酷じゃないか?結局エリートの上澄みしかそのままのお前に価値があるぜって言わないし気付かないし、コンプレックスを抱く側がそれに気づく頃にはほぼ死んでる展開を見せられてから「今あなたを愛する人がいなくても、きっとあなたを愛して、必要としてくれる人はいます」と言われても、やな綺麗事にしか聞こえないだろう。

いくらアコードよりは下とはいえキラはやはりスーパーコーディネイターで、その能力が故に居場所を作れたことも多かったはずだろ。努力しなければその能力は開花しないんだ、だからナチュラルもコーディネイターも同じ人間なんだってのは明確な欺瞞だ。その学習能力、適応能力の差がサイとキラを分けたんだから。ましてやラクスはアコードそのもので、生まれも育ちも相当な上流で、かつその整った顔立ちで作中世界でも人気を博していたキャラな訳だぜ。普通の人にはどうあがいても届かないものがある現実の中で、普通のキャラには未だ明確に掴んだものが見えない中で腐るな泣き言を言ってる場合じゃないってのはちょっと……普通の人を見落としすぎのような気がする。争いをなくすレベルの大きい社会問題の前ではキラやラクスも普通の人なのかもしれませんが……。

せめて下から一生懸命這い上がって、その姿に一人は誰か、異性愛でなくてもいいから誰かから愛を得る奴がいても良かったんじゃないか。いっそ戦争は否定しても自由競争は完全に肯定してしまうくらいはしても良かったんじゃないか。俺は好きではないけれど、もし、愛が己の価値を認められる最善の形とするなら。

だって、無償の愛を誰もが受け取れる訳ではないからこそのクルーゼだったはずだろう。デュランダルのディスティニープランは流石に極端でドン引きモノだったとはいえ、否定して「覚悟はある、僕は戦う」した訳じゃん。ただ愛を信じて動く、今はそうでなくとも待つ、それをキラたちのみで見せるから、上から目線の綺麗事に聞こえて納得がいかなかった。その心こそが分断を生むのだとしても、上の立場から分断そのものを正しさ、大義で透明化されるのはたまったもんじゃない。その結論に至るまでに、いろんなグラデーションが欲しかった。究極、突き詰めれば俺がSEEDシリーズにずっとモヤモヤしてるのはそこだ。

総括

流石に直接的な続編であるので、これを見るのにあの100話を全て見てくれとは言えない。言えないが、この映画は当時このシリーズが好きだった……いや好きじゃなくてもいい、怨念を抱えた奴から必要とされるに足るパワーのある映画だったように思う。これまであえて機体については語らなかったが、絶妙に物足りなかったライジングフリーダムのデザインから戦闘面もどこか大人しかったイモータルジャスティスが、本命じゃないんだなって一発で分かるような演出に昇華されていたのは流石、ガンプラを売りまくって稼いだだけある上手い機体の使い方だったし、やっぱ本命三機が復活した(実はSpecⅡだったり弐式だったりと微妙に違う。違ったって大きく異なるのはコクピットに宇宙世紀お馴染みの全天周囲モニター実装くらいだけど)のは子供みたいに熱くなれたな。アカツキに至ってはやばすぎる。元ネタの百式にも金色に輝く装甲はビームに強いコーティングでぇ……とかあったけど俺の記憶にある限り本編一ミリも活用できてなかったからな。にしてもレクイエム跳ね返しは偉業。今まで戦略兵器ビームをガンダムで阻止する奴らはいたけど跳ね返したのはお前くらいです。凄いね、ムウさん。

愛エンドになんやかんや文句はつけたんだけど、冒頭で言った通り奥さんとの脚本に超文句言われてた福田監督の魂なのかなって思う所もあって、憎む気持ちまではないんだよな。最終戦でお互いコクピットに二人乗って戦う形になったのも、メタ的かもしれない、もしかしたら俺の見当違い、誤読とすら言えるのかもしれないけど、一種亡くなってしまった両澤さんへのレクイエム的な側面もあったのかなって。少なくとも俺は勝手にそう感じて、だから許してしまった。命名に関してもそうなのかなってツイートしちゃったけど、よくよく考えたらレクイエムは種死の頃からあった訳だし流石に違うわな。

この先続編が作られる可能性もありますが、一旦SEEDシリーズの幕引きが見れてよかったです。ガンダムシリーズは別にまだまだ続くし、ガンダムシリーズでこの先も散々擦られるであろう、人は分かり合うことができるのだろうかって大テーマも、現実の歴史の変遷や、あるいはもっと小さい範囲でいうとガノタの変遷とかでまた違った味を見せるんだろう。今でさえ、俺が知ってる当時の空気感とはまた違った受け入れられ方をSEEDはされているように思う。だからといって、SEED DESTINYは名作だったんだ、みたいな歴史修正をされてももにょる気持ちでいっぱいですが……。とまれ、まだまだこの先の人生も付き合っていくガンダムシリーズのしこりの一つが成仏できて良かった。届いたぜ、二十年越しに。


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