「やりたいことがある人」になれ

やりたいことがある人は、人生に意味を見出している。
生きがいがあるかのように見える。目的があるかのように見える。
どれも同じことだ。

ポイントは、やりたいことを定義することだ。
「やりたいこと」に正しい答えなどはない。正解はない。
「やりたいこと」は定義だからだ。定義に正解も不正解もない。

やりたいことは、自分で決めろ。
どうしてもわからない? 大丈夫、何も問題はない。
やりたいことをやった時の感覚は、あなたはすでに経験したことがある。
コンパスのように、その感覚を参考にすることだ。
その方向や行先、なんであれ、その感覚が得られること/ところ/時間/人間関係/etc…なんでもいい。
そっちに進むんだ。

あるいはもう、人生におけるいくつかの意思決定で、その感覚が得られる方向に進んでいるのかもしれない。
もちろん、現実世界でのキャリアの途中のこれまでの意思決定の延長上に、あなたの真の「やりたいこと」が必ずしもあるわけじゃない。
それは、「その感覚が得られるとあなたが思った道」を単純にその場その場で選んでいるだけだ。
実際に得られるかはわからない。示す方向にまっすぐに道があるわけじゃない。


・その目的地に着けば必ずやりたいことをやった時の感覚が得られると、あなたが信じていること。
・設定した目的地の示す方向へと、既に行動していること。

これが「やりたいことがある人」の正体だ。
ふたつめは「その道程をひとに説明できる程度には見切っている状態」であってもよいだろう。

しかし、その道は平坦かもしれないし、険しいかもしれない。
すぐに最短経路を思い描ける道かもしれないし、前人未到の道なき道かもしれない。道半ばで斃れることもあるかもしれない。
人によってレベル感は、天と地ほど異なる。
人によってはすぐに達成できることも、その人にとってはとても大変なことかもしれない。

じつは、「やりたいことがある人」になるためには、その道が険しいかどうか(現在の常識の延長で捉えた想像上の成功確率)は関係がない。
「やりたいことをやった人」になるためには、その道の路面状況は多少なりとも関係するだろう。災害・戦争・経済等の外的な世界の時勢などによって人間の運命が変わることは大いにありえる。それだけでなく、全く新しいことへ挑戦するときは、セレンディピティも影響するのかもしれない。

しかし、全ての「やりたいことをやった人」は、かつて「やりたいことがある人」であったし、少なからずそれが「できると思った人」である。
このことへの例外は、未だ見つけられていない。

「やりたいこと」を定義すること。
「できる」と信じること。

これではじめて「やりたいことがある人」になれる。
そして、行動すること。
この時点で既に明確な目標と信念があるのだから、行動自体は今考えているよりも心理的ハードルは圧倒的に下がり、もし燃えるような信念にまで至っていれば、必死でわき見運転する余裕もなく行動するようになるのだろう。
そうしていつか「やりたいことをやった人」になれるだろう。

少なくとも、これら3点は、成功の必要条件だ。

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