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馬場 雄大 選手に捧ぐ 

長崎ヴェルカが昨年、B2プレーオフを突破して、B1に昇格した。
私は、佐賀市の佐賀アリーナで、佐賀とのプレーオフ決勝を観に行ったが、正直B1でのヴェルカには何の期待も無かった。
第一に、昇格を決めた後のマネージメントに腹が立った。
市内をパレードした後に選手が年間何十万円もする高額なチケット、いわゆる「年パス」を販売するチラシを手渡し配布していた。
その直後、半分近い選手が契約解除もしくはB2、B3リーグへの移籍となったことが発表された。
つまり水面下では首切りとなっていた選手たちにも「高額チケット販売の営業活動」をさせていたということだ。
プロの世界ではしょうがないという人も多くいるが、私はこういうのが性分として大嫌いだ。
もちろん長崎ヴェルカというチームに失望し、年間チケットなど買いはしなかった。

遡ること数年前、私の息子が長崎工業高校に在学していた頃。息子と一緒に県高校総体のバスケット競技の同校の試合を観に行ったことがあった。
長崎工業は県ではベスト8ぐらいまではいく力があったが、特にバスケットの強豪校というわけではない。市内のバスケット好きの生徒たちが集まって作られたようなチームである。
選手たちも一番大きくて180㎝くらいある生徒がちらほらいるくらいで、後は皆170㎝前後の、どちらかと言えば小柄なチームだった。
しかし、試合が始まると、私は信じられないような試合を観た。
開始から5人がオールコートのマンツーマンでつく。オールコートのマンツーマンは、普通にあるディフェンスだが、その時の長工がやったのは、ディナイ・ディフェンスとも言われる激しいディフェンスだった。当然やる側も著しく体力を消耗するので、長くは続けられない。
しかし、数分経つと5人がまったく別の5人と入れ替わり、同じような激しいディフェンスを続けた。そしてまた数分経つとまた別の5人と交代し、同じような激しいディフェンスを続けた。当時高校バスケのロスターが何人であるか知らないが、ともかくベンチメンバー全員での一致した激しいディフェンスであった。
これでは相手チームはたまらない。ボールを奪取され、総崩れとなった。
こんなバスケットを見たのは、後にも先にもこの時の一回のみだった。
ちなみに長工は、次の決勝リーグで、このスタイルをやめてオーソドックスなバスケットにしたためか、長崎西工にあっさり敗れた。
監督になんらかの体裁を意識したところがあったのかもしれない。
しかし、負けるとノックアウトではなく、「即、引退」である高校バスケなどには、プロやNBAにも劣らない魅力があることも事実なのである。
それは「たとえ選手層に恵まれない地区のチームであっても、やりようによってはジャイアント・キリングや白熱したドラマが起こせるのだ!」というまさに「真剣勝負」だろう。
こういうエッセンスを無視すると、たとえBリーグと言えども、大衆からそっぽを向かれてしまう。

何の期待もしていなかった長崎ヴェルカだったが、馬場選手が電撃?参戦したことで、全ては変わったと言っても言い過ぎでは無いだろう。それほどのインパクトがあった。
当時、代表取締役社長 兼 ゼネラルマネージャーと馬場選手が関係があったことと、ヴェルカ・スタイルと呼ばれる「高さにべったり頼らないバスケット」が日本代表のスタイルに似ていた点が馬場選手にとって魅力あったこと、2024年の今年行われるパリオリンピックへの準備として最適だと判断したことがが大きかったことが入団入りの要因であったと報じられた。

そして最近のインタビューでは、NBAのキャバリアーズなどにいたトレーナーがヴェルカにいて、その人にメンテナンスを学びたかったことが大きかったことがわかった。
また、海外リーグでもうひとつパフォーマンスを発揮しきれていない状況を、オリンピックからNBAへと挑戦する原点をBリーグの長崎というチームで再構築していこうとする姿勢もうかがえた。
何よりこのインタビューで印象深かったのは、「目標はNBAか?」という問いに対し、「いや、最終的な目標は、人としてどうありたいか?」だと答えたこと。
この一言に、馬場選手の全人格が伺える。
別の地元番組では、佐世保の小さな有機野菜を提供するレストランに行く様子が流れた。偶然にもそのお店は、私の中学教師時代に在籍した生徒であり、また私が住んでいた借家のすぐ近くであった。
大きな車など入らないので、小型乗用車で訪れる様子が伺えた。
この店も誰かから紹介されたのではなく、自分で検索して調べたという。
チーム・スタッフなどに尋ねれば、絶対にこの店に行くことは無かっただろう。
その点でも、自分の価値観を貫いて行動してきた馬場選手の姿勢は、言っては悪いが、他の大勢の選手(人々)とは違うなと感じる。

私が馬場選手を見ておきたいと思い、試合を観に行ったのは、3/6の名古屋D戦、4/13の佐賀戦。幸い、名古屋D戦は地元長崎市で大勝。
アウェイの佐賀戦は、初めて参戦する娘と妻と一緒だったが、馬場選手の決定的なシュートで逃げ切りの勝利だった。

この記事を書いている日は、地元で本拠地とも言える佐世保・体育文化館でのラスト・ゲームである。
体育文化館は、私も中学教師時代、女子バレーボール部、男子バスケットボール部顧問として何度か足を運んだ場所である。その点だけでも感慨深いものがある。

ぜひ馬場選手は、今年のシーズン終了後、新しい挑戦に旅立ってほしい。
もちろん一人の人として、個人的にずっと応援していく。
そんな馬場選手、海外リーグ時代に、コロナ感染し、かなり調子を落としたという。
フィジカル的にも、メンタル的にも相当タフなものが要求される世界である。全ての生命力の根源である「脳幹部」の活性化を願って私から、いつか届くかもしれないという儚い願望ではあるが、その活性方法を添付させて頂き、この記事を締めくくる。


この記事を編集することで、実は私自身が私自身が鼓舞されていた。


余談として、試合後の深夜に付け加えている。
ホーム最終戦は、大勝して終わることができ、ほぼ全ての人が「よかった、よかった」と安堵した。もちろん私もその一人、昨日惜敗しているだけに、今日は全てのブースター、関係者、そして何より勝ちたいと思っている選手の為に勝ってほしかった。落胆して欲しくなかった。

しかし、勝てたので敢えてここで言おう。
中にはこういう嫌味なジジイも必要なのだ。だからこそ、「勝って兜の緒を締めよ」という言葉がある。

敢えて苦情を言うと、これまでほとんどプレイタイムの無い野口選手を出して欲しかった。
ロスター(試合に出場できる登録メンバー)に入っていなかったから、どうしようも無かったが、結果的に今日のような大差をつけた試合であれば十分に出場させられたはずだ。
怪我をしているわけでもないのに、プレイタイムがゼロという試合ばかりという立場が、どんなに辛いことか、想像してみれば私のような素人にもわかることだ。
皆が勝利の美酒に酔っている陰で、こういう辛さを隠し持っているはずの選手の存在を絶対に忘れてはいけない。チームは育っていかない。

今日の試合内容に触れよう。
大阪エヴッサとの対戦で、前半は40対37とわずかにリードしたものの、大阪の37点のうち24点ぐらいをショーン・ロングという2m6㎝のセンターにやられていた。完全に一人の外国籍の選手にてこずっていたわけで、そのままで行けば一人に40点以上というとんでもないやられ方をしてしまうという流れだった。
しかし、後半はようやく気付いたのか、196㎝のマット・ボンズや201㎝のジャレル・ブラントリー選手などが、ロングの後ろではなくディナイ気味に被せるようにディフェンスした途端、ロングにボールが入らなくなり、大阪は撃沈した。

つまり何が言いたいかというと、長崎はビッグマンのセンターがいなかったから、年越しのあたり5連敗とか、ホーム7連敗とかいった散々な状態に陥ったというわけではないということ。
勝てなくなった時に、チームが一丸となって今日のゲームのようにエナジーを持ったディナイ・ディフェンスをやっていったりすれば、高さは関係なく戦うことができたはずということだ。
もっと言うと、そのディフェンスを中心としたヴァルカ・スタイルを完成させれば、B2時代のメンバーでもB1で十分勝負できたはずで、まだその事に気付いていないということだ。
B1昇格時のパブロ・アギラールやウィタカ・ケンタ、ジョーダン・ヘディング、途中で離脱したニック・パーキンスやデボーン・ワシントンがチームを去らなくても目標としていた30勝に到達できた可能性はあったはずだ。
現時点で25勝33敗なので、もう30勝の可能性は消えたが、チームのマネージメントという事をもう一度しっかりと検証しなければ、来期は今期のような熱い支持を得られるという保障は無いだろう。


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