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S東美で軍艦島パネル展をみる

「S東美」・・・長崎市の人なら誰でも知っていますが、他の土地の人は「えすとうび??」と思われるかもしれません。
S東美の元は大正13年創業の佐々木商店。
昭和22年には繊維製品・装飾雑貨・美術品を扱う「東洋美装店」として株式化。その後株式会社エスマートと併せて「S東美・Sマート」となっています。
長崎市では「浜屋」「玉屋」「岡政(閉館)」とならんで馴染みのある百貨店です。
現在では地上4階までが売り場となっており、5階は事務所兼コミュニティ・スペースとなっています。
今回はブログ仲間さんから情報を得て、そこで行われていた「軍艦島パネル展」をみてきました。


パネル写真は、私はほぼ全て書籍などで見たことがあるものでした。
面白かったのは、展示してあった65号棟(端島最大の建物)の模型です。
どなたが造ったのか、記載がありませんでしたが、実によくできていました。
↓ ここはちょうど島の岩礁部分と65号棟を連結していた空中廊下のあたりです。
ベランダから端島神社方面を眺めるお母さんの人形なども見えます・・

実際の同じ場所の写真ですね。見えている長い階段は通称「50段」です。65号棟の屋上にあった幼稚園・保育園に通うのに、多くの子ども達がこの空中廊下や50段を通っていました。

その屋上幼稚園・保育園の前庭にあるウォータースライダー式の滑り台。これもちゃんと正確につくってあります。

この場所での当時の写真です。
たくさんの子どもたち。
後ろの幼稚園・保育園の室内にも多くの人の姿が見えています。
おそらくこれは記念写真撮影の日で、次の順番を待っている子どもたちだろうと思われます。


この滑り台は現在でも、ボロボロに腐食しながら、なんとか立っています。(・・と思います!)

「コの字」形になっていた65号棟の中庭にあった児童遊園を上から見た図です。遊具の配置まで、よくわかりますね・・

児童遊園の実際の写真です。しかし写真はかなり古い時代のもので、模型の時代とはかなり異なっています。でも、同じようなブランコが4台も並んでおり、当時の子どもの多さをうかがわせます。

なかなかよかった展覧会でしたが、ブロガー仲間さんも書いていたように、ほんとに全く人がいませんでした・・・。
そう言えば、S東美には以前上の方の階に松竹系の映画館「長崎松竹」があったのですが、ずいぶんと前に無くなりました。一度だけ、ここで「男はつらいよ」を観たのを覚えていますが・・。
建物にはまだ「松竹会館」という文字が見えます。そしてその横には今年7月に閉館した「長崎大丸(岡政)」の看板がまだ取り外されずに残っていました。やがてこの看板も撤去されることでしょう・・。ちょっと寂しい思いで、S東美を後にしました・・・。


(元記事投稿:2011年10月14日)

展覧会が開催されたS東美も、今年2024年2月29日に閉館となった。
模型を作った人物とも、その後知り合ったが、政治的信条にも違和感があり、会うことはなくなった。
この頃、娘は7歳。息子は11歳だった。
時は流れた。

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