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中学校美術教育について考える ⑥ 中学生に美術教育は必要なのか?

荒れまくっていた中学生たちに対して、私が選択した題材が「レコード・ジャケット」だった。
今なら「CDジャケット」、あるいはアーティストの「フライヤー」などのデザインの授業ということになるだろう。
中学生の興味関心が高いものという意味では、とってもいい題材だと今でも思っている。

そこでまず私がやったことは、音楽室にコンポとスピーカーを置き、プロジェクターでブルーハーツなどのアーティストのミュージック・ビデオをスクリーンに投影して見せた。
案の定、その「荒れまくっていた」生徒たちは、喰いついて?きた。
途中、歓声が上がったりして、「暴力教師(私)」は、「なんだこいつは!前の美術教師とは、まったく違う、ちょっとイカレた奴が来たぞ!もしかすると自分たちよりも、そのイカレかたは半端ないかもしれん!」というインパクトを与えたようだった。
リーゼント頭の中学生たちは、その授業の後、満足したように教室を出て行った。

当時、3年生は、3クラスあり、「ワル」とレッテルを貼られた連中は、3つに振り分けられているのだけど、彼らのネットワークは強固であり、当然「今度来た美術教師はやべぇ」ということで認識されたであろう。

そうやって、ワル連中の心をわしづかみにした?私だったが、それから大変だったのは管理者である校長への対処だった。
たったミュージック・ビデオを生徒に見せたということで、「なんで学習指導要領に無い?あるいは聞いたことも無い?こと」をするのだ、と難癖(今となっては校長の立場もわからなくは無い)をつけてきたのである。

しかし、暴力教師は、管理職にとってもまた問題教師だった。
そこでヘナヘナと引き下がるような態度は取らなかった。
今考えても大変な反骨教師、問題教師だった。

今でも「それじゃあ、女性教師を半拉致して図書室に立てこもり、美術室にもやってこない、ガラスなど平気で割りまくる生徒たちに、静物画やデザインの授業を一回でもいいから、師範授業としてやってみせろよ!たったの一回でもそれができたら、あんたの言うことに従ってやる!」と今でも思う。
自分ではできないことがわかっていても、自分の保身と建前のために言っていただけだろう。

その内、ワル連中と廊下ですれ違うと、「先生、どがんしたっね?また、校長に怒られたとね? おいが(俺が)うっ叩いてやっけん!」と言うようになった。
これは冗談でなく、本当にやりかねないので、「お前、それは、やったらアカンぞ!」と、とめる立場になっていた。

しかし、結局校長の「権限」である人事権を利用され、たった2年で私は他地区へ飛ばされてしまった。

ある日、深夜2時ころまで職員室の机を片付けていると、もっともワル?であったK君が職員室に顔を出した。
彼は卒業後、漁船に乗ったのだが、明け方港に帰ってくると船から学校に灯りがついて、私の姿が見えたのだと言った(私は窓側の席だった)。

私は非常に驚いたが、その日の彼の笑顔は今でもはっきりと覚えている。
そして、とてもうれしかった。

結局、彼らも「美術」を好きになったわけではなく、「美術を担当した私を、ちょっといい奴だった」と思っただけだっただろう。(つづく)



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