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地底の記録ー呪詛 坑内馬と馬夫と女坑夫 ② 武松 輝男 著

※著者も亡くなり、出版社も無くなってしまった。
古書もweb上でも、ほぼ見つけることができない。
このままでは、唯一詳細な「坑内馬」の記録が消滅してしまうと危惧し、ここに写し取っておく。


・・・二基の墓石がみえるだけである。
一基は台座だけであるが、墓地につきものの花立ても見当らない。
 私はずいぶんと、あちこちで墓地群を見たことがあるが、どんなに山の中の古びた墓地であっても、この密生した熊笹に、埋もれているような荒れ果てた墓地を、いまだかって見たことはない。
坑内で死亡した馬の死骸などを埋めるために、買収された。そのために墓地供養が廃絶してしまった。それからは熊笹の密生するがままにまかせられた。畜生と人間を一諸の墓地内に葬むることはできない。そういう反擁もあったのだろう。私はそう思った。
 坑内使役馬を埋めた。という痕跡は、密生した熊笹に行動を阻まれたせいもあるが、見つけ出すことはできなかった。

 三池炭砿で、坑内での石炭運搬に馬匹を使役しはじめたのは、明治十一年三月、大浦坑からである。この坑内での馬匹による石炭運搬も、やがて坑内の運搬系統の機械化の進渉にともなって、曳馬による石炭運搬は昭和六年一月で終ってしまうが、三池炭砿の中で最後まで馬を使役し、石炭を運搬していたのは宮原坑であった。
 宮原坑は開坑以来から囚徒坑夫を労役させた炭坑で、修羅坑と呼ばれていた。
 この修羅坑という呼び名は、明治二十六年に当時の下里(さがり)村、現在でいえば上宮町に新設された三池監獄で、その獄舎につながれながら、坑内労働という、地上の生活から遠くかけはなれた奈落の底の苦役に狩り出されていった、囚徒たちのすさまじい苦役の様を言っている。と同時に、このようにこの世で苦しんでいるのは、この世で悪いことをした報いだとする三世の因果や輪廻という仏教思想にもとづいての、囚徒たちを善導教化するための鎮魂の意味も含まれていた。
 いまは、放免囚も住んでいたことがあるといわれていた一丁玉納屋跡は、宅地造成で赤茶けた土をむき出している。 一丁玉納屋を取り囲んでいた黒レンガ造りの塀も取り壊されて、三池監獄の高い塀が人々の目に直角に映る。この高い塀に真赤に色どられた太陽が西に傾きながら重なってくると、何とも言いようのない、殺伐と哀愁と憐憫とが錯綜する感情をいだかせずにはおかない。
囚徒坑夫たちは、高く頑丈な塀にとり囲まれた三池監獄の通用門から出て、塀に沿いながら歩き、やがて右に折れてだらだら坂をおりていくのである。そして再び左に折れ、また右に折れながら、地元の人々が呼んでいる囚徒道を、鎖をふれ合せながら歩いていった。
 炭坑での苦役は、その日の生死は保証されない。その日の安否は坑内の状況によっても左右されるものであるが、囚徒坑夫たちは山の神の掌中にあるものだと思っていた。そういう苦役と諦観が待ち受ける坑口へと歩を進めていたのである。
 その隊列は、日本刀の双身を仕込んだサーベルで身を固めた看守に、前後を見守られながら、黒光きする六本の鎖の先の、頑丈な鉄輪に足首をとられている六人を一組にして、鎖がふれ合う冷たい音をきしませながら、いまも言い伝えが残っている囚徒道を歩いていた。
『宮原坑の馬小屋はですな、 ここにレンガ塀がずうっとあって、 その内側にありましたです。多分、三棟だったと思います。』
 そのように説明されても、いまは時代の波に乗った土地造成工事で、塀も家もとり壊わされてしまっていて、その場所すら計り知ることすらできなくなってしまっている。ここにも囚徒道があったはずだが、その面影すら見い出すことはできない。
 坑内で使役されることになっている、石炭運般用軌馬の、軒の低い馬小屋はその囚徒道の右手にあつた。
 この軒先の低い、見るからに粗末な造りの馬小屋につながれた馬たちが、陽の光のもとで馬糧を喰み、天空にむかって噺くことができたのも、三池炭砿に買いとられたあとの、ほんのわずかな期間だけであった。
 そのあとは、宮原坑・勝立坑・宮浦坑・四山坑など、それぞれの炭坑(やま)に造られている坑内厩で繋養される。このように、馬が坑内へ降されてしまうと、落盤や側壁崩落などで趾の骨を折るとか、あるいは病気になって坑内使役ができなかった時か、坑内火災などで死亡した時でないと、地上の燦燦と輝く陽の下や、墨をはいたような夜空にきらめく星空の下に、坑内から引き上げられることはまずない。
 坑内使役馬が、地上に上るための選択は、廃馬か死かの二者択一である。もし私たちが廃人か死かの二者択一の労働を強いられたとしたら、どう対応するだろう。
『そういうところは、辞めればいい』
誰もが一度はそう思う。ところが現実ではそうはいかない。炭砿の経営者は停年までの途中で足抜きができないように、いろいろな方法を講じている。途中で自己都合退職をすれば、停年がたとえ一年先というように、目の前であったにしても、退職金・・・

(P6~9)



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