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昔の仕事日記より ~ 2007年6月29日

少しは地域の役に立とうということと自分の活動を知ってもらいたいということで自分の作品をプリントしたカードを置いてもらえそうなところをあたりました。
まずはJR道ノ尾駅。
ここはいまだ懐かしい駅舎の駅で小学生の頃親戚達と乗り降りしたなじみ深い駅です。
またあの長崎原爆の時には被災者を救出するための最前線駅となりました。今ではそんな歴史も忘れられたかのような駅なのですが・・・・
駅長さんにはなすと「よかばい!」と快く承諾してくれました。
この駅は1時間に1~2本しか停まらないローカル線の駅なのですが、カードを見て少しでも心なごませてくれる人がいるといいです。
次はよく利用させてもらってる時津図書館です。
ここの館長さんも大変物腰の柔らかな人で「検討してみる」というお返事をもらいました。

昼から教え子のお母さんのお葬式に出るため佐世保へ・・・。
昨日の他の教え子の報告では案外しっかりしていたというM君でしたが、式では悲しさを抑えきれないようで、何度も声を上げて泣く姿が見られました。
卒業して10年、M君の本当に泣く姿を担任として見ることが出来ました。近寄って声を掛けると素顔の泣き顔で話してくれました。
亡くなったお母さんというのは1度しかお会いしたことはありませんでしたが、とても明るく美しい方でした。
突然に無くなったそうで、旦那さんやM君ら子ども達の胸中はいかばかりかと思うと胸が痛みます。
涙を抑えることが出来ませんでした。
外ではもうセミが鳴き出したというのに本当に切ない帰り道でした。


***

JR道ノ尾駅は、「無人化」されて、駅長さんは、いなくなってしまいました。
「駅長ネコ」のネルも、高齢化の為、篤志家に引き取られていきました。
数年前、時津のパン屋が駅舎に入居しましたが、あっという間に潰れました。
最初から無謀な計画でした。

教え子、M君のこと。
この時葬儀場で、声をかけた私に、M君は私に抱き着いて泣きました。
教師人生の中で、私の胸の中で泣いたのは、M君ただひとりでした。
あれから、もう16年が経ちますが、彼はどうしているでしょうか?
そんな彼を憂う私の母が、高齢ですが、薬物依存症と闘いながら、まだ生きております。


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