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佐世保港の「巨人」は、スコットランドからやってきた ~SSK・250トンハンマーヘッド型クレーン

新聞の連載を持っていた時に「昔からある、佐世保ならではの風景は?」と考えて、浮かんできたのが、「坂道の途中に見える巨大なクレーン」・・・というものでした。

佐世保の親戚のうちに遊びに行って泊まった翌朝、細い坂道を下っていくと港に突き当たり、そこにはいつも艦船がいっぱいでクレーンの林がそびえていたような記憶があります・・・。

佐世保重工業(SSK)の250トン・ハンマーヘッド型クレーン。
この「巨人」は、大正2年(1913)より約1世紀の間、「佐世保のランドマーク」としてこの地に立ち続けています。もちろん今も現役です。
このタイプのクレーンは日本にはわずか3機しか残っていません。あとの2機は長崎市・三菱重工長崎造船所の150トンクレーン(稼働中)と横浜市にあるもの(稼働せず)です。

「巨人」の出身地はスコットランドのグラスゴー。そこに本拠地のあったサー・ウィリアム・アロル社(Sir William Arrol & Co.1873~1969)により製作されたものです。
同社はもう今はありませんが、かつてロンドンのタワーブリッジやタイタニック号等の建設に使用されたガントリークレーンを造ったのが、この会社でした。

組み立てられた大正2年というのは、「日英同盟」の後ろ盾の元、ロシアからの脅威を「日露戦争」によって切り抜けるという、もっとも英国と親密な関係にあった時期でもありました。
またそのすぐ前、明治42年には三菱長崎造船所に150tクレーンが設置されているので、当時の海軍鎮守府時代であった佐世保にとっても、大きな影響となったことでしょう。
ちなみに長崎市の150tクレーンは、やはり同じスコットランド、マザーウェルのマザーウェル・ブリッジ社(Motherwell bridge ltd、現在も存在)製のものです。この時代にはまだスコットランド人であるトーマス・グラバーが生きており、この影響も少なからずあったかもしれません。

(写真は二等巡洋艦長良に艤装中の250tクレーン)

今も現役の250tクレーンは、かつての6.29佐世保大空襲をくぐり抜けてきました。長崎の150tクレーンは原爆の爆風に耐えています。
スコットランドからやってきた「巨人」たちは、市の黎明期から戦前・戦中・戦後を通して、街の近代化を支え続けてきたのだ・・・ということを忘れてはいけませんね。

特に佐世保市の250tクレーンについては、会社が消滅して40年経った今も動いて利用されている、ということをもう一度、しっかりと認識する必要がありそうです。
設置されて100年後となる2013年には、何らかの賞でもあげて、ねぎらってあげて欲しいものですね・・・。

(元記事投稿:2011年08月03日)

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何か新しいものを立ち上げること、新しい箱ものをつくることに、皆が躍起となっている時代であるが、「温故知新」のごとく、普段見過ごされてきているものにスポットを当てるという斬新さも忘れてはならないだろう。



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