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少女の日記としてではなく、一人の人格ある人間のものとして「アンネの日記 増補改訂版(文春文庫)」を読む ⑫ 大人脳である14歳は、親に言われて人生を変えない、ということ

(前略)
これはつまり、わたしたちが外面的なことではなにかにつけ子供として扱われているのに、内面的には、おなじ年ごろの少女たちよりも、ずっとおとなだということです。
わたしはやっと十四ですが、自分がなにを望んでいるかはちゃんと自覚していますし、だれが正しく、だれが正しく、だれがまちがっているのか、その判断もつきます。
自分なりの意見も持っていますし、自分なりの理想や原則もあります。
こういうことを、思春期の少女が言うのはおかしく聞こえるかもしれませんが、わたしとしては、自分が子供であるよりも先に、 一個の人間であり、だれにも縛られない独立した人格であると考えているのです。
たとえばおかあさんとくらべても、わたしは自分のほうが物事を的確に判断し、論じることができると思っています。
おかあさんほどの偏見にもとらわれていませんし、おかあさんほど誇張した考えかたもせず、おかあさんよりもきちょうめんで、頭の回転も早く、そういう意味では(笑われるかもしれませんけど)、おかあさんよりも多くの点ですぐれた人間だと思っています。
わたしがだれかを愛するとすれば、なによりもそのひとを賞賛する気持ちを持てなくちやなりません。
賞賛と、尊敬の念の両方を。
ところがおかあさんには、このふたつの必要条件がふたつながら欠けているのです。
願いどおりにペーターの心をつかむことさえできれば、こうした悩みはなにもかも吹っ飛んでしまうでしょう。
わたしは多くの点で彼を尊敬していますから。
だって、あんなに善良で、すてきなひとですもの。
    
                じゃあまた、アンネ・M・フランクより

アンネの日記増補新訂版 p384 - 385

この日の日記は、「大人脳である14歳(15歳かそれ位の年齢)は、親に言われて人生を変えない」ということをラジオで人工知能研究者(脳科学者)が言っていたが、その裏付けとなるような内容である。
このことはアンネ・フランクに限らないだろう。

私も含めて、子どもを持つ親というものは、ついつい子どもに対して、何歳になろうとも「リスペクトの無い、子ども扱い」をしてしまうものだと自覚し、反省すべきだろう。


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