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南島原市・口之津港 ~ 多くの「からゆきさん」が故郷を後にした地

長崎県南島原市・口之津港は天然の良港として古くは南蛮船が帰港するなど昔から栄えてきました。
しかし、そこにはかつて多くの「からゆきさん」達がここから日本を離れ、二度と帰れなかった娘達も多かった・・という哀しい歴史も含まれています。


ここ口之津歴史民俗資料館には、おそらく国内で唯一であろう、「からゆきさん」についての展示コーナーがあります。


「からゆきさん」・・・・上のプレートにある通りですね。

『 明治から大正にかけて、島原、天草地方の貧しい農家や漁村の娘たちが口之津港から石炭船の船底に隠されて、中国や東南アジア各地に売られていった。その娘たちを”からゆきさん”と呼び、貧困の悲劇として語り継がれている・・・ 』

「島原の子守唄」の中にも出てくる「からゆきさん」。

「島原の子守唄」 宮崎康平作詞・作曲

1.
おどみゃ島原の 
おどみゃ島原の
梨の木育ちよ  
何の梨やら何の梨やら     
色気なしばよしょうかいな   
はよねろ泣かんでおろろんばい
鬼の池の久助どんの連れんこらるばい

2.
帰りにゃ寄っちくれんか
帰りにゃ寄っちくれんか
あばら家じゃけんど
芋飯(といもめし)ゃ粟(あわ)ン飯
芋飯ゃ粟ン飯
黄金飯(こがねめし)ばよしょうかいな
嫁御(よめご)ン紅(べ)ンナ誰(た)がくれた
つばつけたなら赤(あ)ったかろ

3.
姉しゃんなどけいたろうかい
姉しゃんなどけいたろうかい
青煙突のバッタンフル(注1)
唐はどこんねき
唐はどこんねき
海のはてばよしょうかいな
おろおろんおろろんおろろんばい
おろおろんおろろんおろろんばい

4.
山ン家(ね)はかん火事げなばい
山ン家(ね)はかん火事げなばい
サンパン船はよろん人
姉しゃんなにぎん飯で
姉しゃんなにぎん飯で
船ン底ばよしょうかいな
おろおろんおろろんおろろんばい
おろおろんおろろんおろろんばい

5.
あん人たちゃ二つも
あん人たちゃ二つも
金の指輪(ゆびがね)はめとらす
金はどこん金
金はどこん金
唐金げなばいしょうかいな
おろおろんおろろんおろろんばい
おろおろんおろろんおろろんばい

(注1)口之津港には、英国リバプールに本社がある"Butterfield & Swire Ltd"社・香港事務所の船が出入りしていたので、のちに地元の人々は外国の貨物船をすべて『バッタンフル』と呼ぶようになった。キャセイ航空はその系列にある。


※現代文による歌詞(鹿児島県の下土橋 渡さんの訳を引用しました)

 (1)私は、島原の貧しい家の育ち
    色気なんてないから人買いに連れて
    いかれることもないでしょう
    泣かないで早く寝てちょうだい
    早く寝ないと、天草の鬼池の人買いの
    久助どんが連れにくるよ
 
 (2)帰りには寄って下さいね
    あばら家で白飯は出せないけど
    粟(あわ)にさつまいもを混ぜた黄金飯があるよ
 
 (3)人々の注意を火事の方にそらすため、人買いの集団が火をつけて
    山の家は火事だよ。その間に娘たちは、サンバ船という小船で
    沖に連れていかれたよ。小船を漕いでいるのは与論島の人だよ。
    姉さんは白い握り飯をもらって、いまは石炭船の底だよ。
    泣く子はカニに噛まれるよ。
    泣かん子には太い飴ん棒買ってやるよ
 
 (4)姉さんはどこへ行ったのだろう?
    青煙突のバッタンフル船は、外国のどこへ行ったんだろう?
    海の果てだろうか
    早く寝なさい、泣かないで
 
 (5)あの人たちは2つも金の指輪をはめておらっしゃる
    あの金はどこの金だろうか
    外国から持ち帰った金だろう
    お嫁さんの口紅は誰がくれたの?
    燃えるような赤い口紅、唇につけたら熱いでしょう
 
 (6)有明海の不知火は燃えては消えるよ
    バテレン祭りの笛や太鼓も鳴り止んだよ
    泣かないで早く寝てちょうだい
    泣かないで早く寝てちょうだい

実際の景色は、「どこにそんな暗さがあるのだろう?」と思うくらい明るい港の風景が広がっています・・・


しかし、資料館の写真は確かに同じ場所を写しています。そして現実の歴史として多くの年端もいかない娘たちが騙され、脅かされた上に商品としてこのような石炭運搬船に積み込まれていったのですね・・。


コーナーには多くの写真や遺留品が並べられています。


こういった物を目の当たりにすると、言葉が出ません。


ほんのわずかですが、成功して故郷に帰ることができても、「一族の恥」として存在をひた隠しにされ、一枚の写真さえも残っていないことが多いのだとか。

そういう意味では、ここに残された写真や品々は本当に後世に残すべき遺品んなのです。

こうして写真が帰ってくるだけでもよい方だと言うべきなのでしょう

まだ古さを感じさせない衣料。


「からゆきさん」のことを考えるには、当時の時代背景や民俗・文化も併せて考えていかなければならないと思いますが、この口之津の地に、これだけの資料を展示した資料館がある意味は大変大きいものがあると思います。

ただ、私の娘は今16歳ですが、もし己の貧しさゆえに自分の娘を外国に娼婦として売り飛ばす、と考えると。それはもう、今だから言える事かもしれませんが、この蒼い海に身を投げた方がましです。

しかし、今なおアジアや世界の貧しい地域では、金の為に人身売買が行われていることを、私たちは無視してはならないと思うのです・・・。


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