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8月23日 ◆ 衛星のように一人で暮らしていくこと

衛星か
近づくと衝突しちゃうのかな

え?ははは
しちゃうのかもな

…衝突しないための適切な距離というやつが
たとえばおれときみではおれが想定したより遠かったけど
きみと朝さんではきみが思うよりもっと近いかもしれないだろ

軌道を逸れてしまうほうが衝突よりも怖いんじゃないか

…与えたのと同じものが返ってこなくていいとか
少し離れてその人に関わっていたいとか
衛星ってのはそんな感じだ

ヤマシタトモコ『違国日記』第11巻より

昨夜、大学の頃の友人の家に泊まった。
わたしと同じ一人暮らしの友人だ。

ついこの間、その友人と池袋に漫画家のよしながふみが漫画で紹介していた中華料理屋に行ったのだが、その後、彼女がそこで食べた豚足を家で再現したと連絡をくれたので、次は家で中華三昧にしよう!と話が盛り上がり、仕事終わりに彼女の家にお邪魔したのだった。

家の玄関のドアを開けると、彼女は台所でアボカドを剥いているところだった。台の上には、溶かれた卵、水に浸されたきくらげが置いてあった。
すでに中華の香りが漂っている。台所の前を通り過ぎて、奥の部屋に進むと、そこに置かれたローテーブルの上には、所狭しと皿に盛られた様々な中華料理──トマトとキュウリとクラゲの和え物、カシューナッツと鶏肉の生姜炒め、彼女の母特製の水餃子、そして待望の豚足!──が鎮座しており、思わず歓声を上げた。

わたしは持参したハーブとスパイスが香る麦焼酎の炭酸割を作ると、彼女と乾杯して、早速絶品の中華料理に舌鼓を打つ。
テレビを点けながら、お互いに気ままにだらだらとたわいもない話をする。7年来の友人、気安い関係の友人である彼女と過ごす夜に、思った以上に気を緩めて休めているわたしがいた。

箸と酒が進むにつれて、熱烈な野球ファンである彼女は、テレビで放映されていた贔屓にしている球団の試合に夢中になってきていたので、わたしも好き勝手に彼女の家にあった、気になっていた漫画の最終巻を読み始めて、そして読み終えた。

その『違国日記』第11巻のなかで、主人公・朝の叔母の槙生と新たな関係を結んだ笠町が話す「衛星」という言葉を、わたしは頭のなかで繰り返して心に刻んだ。

先日、去年の暮れまで共に暮らしていた元同居人と会った。
同居を解消して年が明けてから一度も連絡を取っていなかったのだが、夏が本調子になってきたころに彼女がわたしの家の近くの菓子屋を勧める連絡をくれたことをきっかけに会うことになったのだった。

同居を解消した今でもわたしと彼女は隣町にそれぞれ一人で住んでいる。
近しいところに住みながら、今年は一度も会っていなかったのだ。

「一人暮らし、たのしい?」と彼女が言う。
「全然、つまらないよ」と私が言う。
「つまらないよね」と彼女が言う。

大学を卒業し、会社員になって初めての東京での暮らしが彼女との二人暮らしだったことは幸いだった。
大学の入学と共に実家を離れて、大学の敷地内にあった宿舎で初めての一人暮らしを始めたわたしは、あまりのさびしさに泣きべそをかいて母に連日電話をしていたことを覚えている。そのうち、同じ宿舎に住む友人と半同居のような生活になった。大学2年生で宿舎を出たあとも別の友人と二人暮らしを始めた。大学3年生の終わり、訳あってその同居を解消したあと、大学4年生の1年間は一人暮らしをしていたが、あまりにも自分の家がつめたいものに感じられて、大学図書館の24時の閉館ぎりぎりまで居残る生活を続けた。

かと言って、四六時中その時々一緒に暮らした同居人にべったりくっついていたわけではない。私も同居人も皆、忙しさを好む性格で共に家にいることは少なかった。共に家にいても各々で本を読んでいることもざらにあった。

そう、さびしがりやなのに一人が好きという難儀な性格のわたしにとって、二人暮らしは一番居心地の良い他人との距離感なのだった。

東京での彼女との二人暮らしも平穏に続くかと思われた。現に次の契約更新はせずに別の場所に一緒に引っ越して暮らそうという話もあったのだ。
しかし、二人暮らしの最中、彼女にもわたしにも恋人という関係性の人間が現れた。彼女は恋人の家に居つくようになり、わたしも彼女がいない間にわたしたちの家に恋人を招き入れた。
かくして「二人暮らし」というバランスは崩れてしまったのだった。

このときに、私は異性愛者である同性との二人暮らしはもう当分できないだろうと悟った。彼女たちはいつか恋人と結婚し、一緒に暮らすようになる。その将来があるのに、彼女たちの恋人を差し置いて、わたしが一緒に暮らすことができないと思った。
今の一人暮らしがどんなにつまらないものだとしても、恋人との二人暮らし、いや結婚相手との結婚生活の将来の可能性がある彼女とはもう一緒には住むことはできないとお互いがわかっていた。


そして、恋人と二人暮らしをすることもできないわたしの、東京の一人暮らしが始まったのだった。

東京での一人暮らしは最初想像していたよりも楽しかった。
自分の思うままに、自分の好みのままに、暮らしをデザインしていった。前の家にあったわたしの部屋は日当たりが悪く多肉植物ですら枯らしていたが、今の家は南向きで大きな窓があるからどんな植物もすくすくと育っていく。わたし好みの白で統一されたモノの少ない部屋が次第に構築されていった。
でも、自分にコントロールされた、予想外のことが起きない暮らしに次第に息苦しさを感じるようになっていた。そのうえ、精神の不調が重なって友人と外食をしたり出かけることを負担に感じるようになってしまった。
家で一人で過ごしていても、外で友人と会って話していても、身の置き所がないような心持だった。

そのようなとき、唯一身の置き所があると感じられたのが恋人と過ごしている時間だった。だから、わたしは結婚を強く求めるようになったのだと思う。

ここで、昨夜の友人宅に泊まった経験と、「衛星」という言葉を足掛かりに、ある一つの方向から見えたものを形作っていく(つまり、この形が全てではない)と、これから「他人と暮らすこと」ができなかったとしても「他人と暮らす時間」があれば、わたしは「一人暮らし」を続けていける、つまり生きていけるのかもしれないと気づいた。
それは「衛星」として生きていくことだ。

18歳の頃から今まで、「一人暮らし」は身の置き所がないと思っていた。居心地がどうにも悪くてここは自分がいる場所ではないような気がした。
でも、今日会社からの帰りに東京の街を一人で歩いているとき、ふいに「一人暮らし」が身に付いたと思った。

それは、昨夜の友人の家での泊りの時間があったからだろう。「一人暮らし」をしていても、時に友人の家に泊まったり、恋人の家で過ごしたりすること(恋人とは最近は互いの家をベースにして過ごすことが多かった)で、「二人で過ごす時間」があることに気づいたとき、わたしは他人の間で、他人に頼りながら生きていけるようになっていたことを知ったのだった。

一人暮らしをしていると、どうしようもなく耐え難い独りの時間がある。
一方で、誰にも踏み込ませられないような独りの空間が自分のうちにある
そのような自分は「二人暮らし」なくして、他人との適切な距離感を摑むのが難しいところがあった。
でも、いつの間にか、「一人暮らし」でも他人と適切な距離感を摑めるようになっていたのだった。
そのように気づいたとき、自分がようやく「一人立ち」できたように思ったのだった。

わたしも、友人たちも、恋人も、皆が衛星。
それぞれの軌道に沿って、それぞれの速度で、それぞれ回っている。
それぞれの軌道と速度によって編み出されたタイミングによって、わたしたちは、遠くなったり、近くなったり、時には接触して、衝突したりする。
それぞれの衛星と、その時々の距離が生まれる。
わたしは、大切な衛星一つひとつを見つめながら、軌道を逸れることなく回り続ける。

そのような予測不可能な宇宙を頭のなかに思い浮かべると、もう少し生きていけそうな気がするのだ。

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