見出し画像

10月12日 ◆ いつ死んでもいいと思いながら、今日を生きること

「ああ~もうどうでもいい、早く死んじゃいたいな」
ふとこんなことを考えていることに気づいたとき、私は自分の心の不調を認識する。

以前はこんなことを考えていると、夜寝る前にベットで横になりながら窓から飛び降りる様子を想像したり、自分の至らなさを責めることで精神的な自傷行為をしたりと、そのまま不調の下り坂を転がり落ちていた。
しかし、毎日感情を記録する日記を付け始めて1年半が過ぎると、この心の不調が1か月に数日の頻度で定期的に訪れることがわかり、最近は「また心が不調ですわ」と認識することで、「通常の精神状態ではない自分が考えることは大抵おかしい」という前提付きで、物事を考え、不調の波が過ぎさることを耐え忍ぶようになった。

とは言っても、心が不調の時は辛い。
今朝も起きて「元気ないですわ~」と思いながら、家から徒歩1分のコンビニに朝食を買いに行く。昨夜も同じコンビニに行ったのだが、何も買えなかった。元気がないときは判断力も落ちるため、何を食べればいいかわからずに何も買えず、家に帰っても何も料理できず、夕食をほぼ食べないまま寝てしまったのだった。
今朝は、「食べたいものを探す」というより「食べられるものを絶対に買う」が目的だったので、胃にやさしそうなものを陳列棚から探す。
探しながら、ふと昨日聞いたポットキャストを思い出す。

そのポットキャストは、俳優の小泉今日子さんがMCを務めるもので、今回は「アイドルの労働環境」がテーマだった。その中で、アイドルとしてデビューした小泉さんがアイドル時代に突然思い立って髪をばっさり切ったという話がされていた。なぜそのようなことができたのかと問うゲストに対して小泉さんは次のように答えていた。(ニュアンスです。)

「最終的にはアイドルという仕事を辞めようと思っていたけど、辞めたあとに『でも貴女なりに頑張ったよね』と言われたくて。でもその時点で辞めてもそうは言ってもらえないだろうと思い、同時に最終的には辞めるだからと思い、自分の好きなように行動していた。」

この「辞めるだろう」という「終わりへの意識」は、私が感じる「早く死んじゃいたい」に近いのではないか?というか、重ねることができるのではないか?と気づいた。
いつ死んでもいいなら、明日仕事でうまくいかなくて上司に嫌われたとしても、親しい人にこの話をしたら嫌われてしまうかなと考えることも、別にどうてもいいじゃないか。
心の不調時に求める「死」は、現状打破の風穴かもしれない…と自分に言い聞かせて、なんとか今日も生きてみるかと思う朝だった。

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?