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「みんなのため」は誰のためでもない

「みんな」を想像すると、複数のパターンが浮かび上がって、どれもに考慮した結果、どんどんと輪郭がぼやけて行く。

「んで、結局なにが言いたいんだ?」という状態になってしまう。八方美人は嫌われもしないけど、好かれもしない理由はこれだ。

「特定の個人のため」のほうが、「みんなのため」に近づく

人間は私たちが思っているよりも似通っていることが多い。ただでさえ似通っているのに「みんなと同じが良い」と思ってしまう気質を日本人は強く持っているので「わかる!!私も!!(正確にはちょっと違うけど)」となりがち。だからこそ、「特定の誰かのため」がすでに「みんなのため」に近づく。

そしてネットの世界になると、「特定の誰かの範囲」がブーストする。

リアルの世界では「特定の誰かのための行動を見る人たち」の視界に入る必要があった。ネットの世界には距離の概念がないので、視界が無限に広がる。SNSフォロワー数を視界とする考え方もあるが、いずれにしてもリアルの世界よりは極端に視界は開けるはずだ。

特定の個人で最も簡単なのは自分自身

特定の誰かを想像したところで、私たちは人間の一部分しか見ることができない。数値にすると、せいぜい10%だろうか?夫婦でも100%行くことなどありえない。そもそも100%相手を理解したら、面白みがなくなる。

では、最も理解度の高い人間は誰なのか?それは自分自身。

「私」を癒やし、「私」を幸せにすることが、似通った他人を癒やし、似通ったクラスターを癒やし、みんなの癒やしに近づいていく。

だからまずは、自分をスタート地点にしよう。


ちなみに、この話は表立ってしないほうが良い笑

もちろんこれは、万人に理解を得るの難しい話なので、自分の中だけにとどめておいたほうが良い。

他人の前では自己中心性をひた隠し、心のなかでこっそりと自己中心性を実行しよう。そうすることで、自分にとって生きやすい世界は広がっていく。

心配しなくても、何をやったって嫌ってくる人は嫌ってくるし、好いてくる人は好いてくる。自分の人生を生きよう。

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