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【掌編】苦い珈琲

仕事がある日の朝は、出来る限り早起きする。なぜなら時間ぎりぎりにベッドから飛び出してしまっては、珈琲をじっくり淹れられないからだ。築四十年の古い団地の、銀のシンクにところどころ錆びの染みができた狭いキッチンスペースに立つと、頭の上の開き戸を開けて道具一式を取り出す。

ドリッパーに、ペーパーフィルター、サーバーに、口の細いドリップ用ポット、メジャースプーン。そして、愛用のマグカップ。

ポットに水道水を注ぐと、コンロの火にかけた。眠い目をこすりながら湯が沸いてくるのを待つ。そのあいだに、マグカップにドリッパーを載せてフィルターをセットし、挽いた豆の袋を出してくる。

この珈琲豆は京都旅行に行ったとき、現地の小さな量り売りの店で買ったものだった。袋の口を開け、スプーンに1杯……もう少し、追加か。

ほんの少し前まで、朝の珈琲はインスタントしか考えられなかった。目覚ましが鳴っても再度設定しては二度寝を決め込むような人間だったから、俺は。その習慣を変えるきっかけとなったのは、一年前に亡くなった友人、春文とのやりとりだ。そのことを思い出すと、いまでも胸がふさがれる。

湯が沸く音が少しずつ大きくなってきたので、ポットを火からおろした。さあ、ここからが肝心だ。ほんの少量のお湯を、細口からフィルター内の豆に注ぐ。とたん、得も言われぬ芳ばしい香りが立った。

『なんだ、貴司。珈琲って蒸らすもんだって知らなかったの?』

『しらねーよ、馬鹿』

総合病院の病室で、やせ衰えた体を折り曲げ、くつくつと可笑しそうに笑っていた春文の姿は、いまでも脳裏に焼き付いている。

二十秒ほどの蒸らしの時間を終えたら、ポットの細口から、お湯を「"の”の字」を描くようにしてフィルターに注いでいく。コツを覚えるまでは、短気な俺はすぐにいらついて、お湯をいっぺんに注ぎすぎては失敗したものだ。

でも、いまは、丁寧に淹れる。それができるようになったのは、春文ともう会えなくなってからのことだ。というか、きちんと美味しく淹れて、あわてずに飲みながら朝の時間を過ごすことが、もういなくなった奴への弔いみたいに俺はどうも思っているふしがあるらしい。

高校卒業とともにミュージシャンになる夢を追って上京したものの、挫折を経て福井県に戻ってきて、もう十年になる。父の伝手で自動車整備会社に勤め出してからは七年。三十代の半ばにもうすぐ手が届く俺を待っていたのは、結婚でもなく、昇進でもなく、保育園からの幼なじみである春文が病に倒れたという一報だった。

報せを聞いてから、嘘だろと思っているうちに、どんどん病気の進行は進み、一年後、俺は春文の両親から「これ、貴司くんに形見分けしてくれって」と珈琲のドリップセットを渡された。「貴司くんなら、きっと大事に使ってくれるって、あの子が」

馬鹿め、春文、と思った。俺がどんなに気が短いか、誰よりもわかっていたくせに。それを受け取った翌朝から、俺は目覚ましを六時にセットするようになり、二度寝もしなくなった。そして、朝、優雅に珈琲を淹れ、友の顔を浮かべながら飲んでいる。

春文の教えどおりに飲む珈琲は、とても旨い。でも、これほど苦い珈琲の味を、俺はほかでもう飲むことはないだろう。





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