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本とスマホどっちを長く見てますか

年齢を言い訳にしたくはないのだが、このところ1冊の小説を読み終えるのに「がんばり」が必要となってきてしまった。昔はそりゃあもう砂漠で遭難した人が水を与えられたときのごとく、浴びるように、一気飲みするように、物語が読めていたのだ。調子の良い日は1日に7、8冊読むこともできたくらいだ。

仮にも私は小説を書いていて、物語についてはもっともっと書き方を勉強するために読まねばならないのである。小説以外にも、読まなくてはならない本はたくさんこの世にある。

それがわかっていながら、つい、小説を読む代わりにスマホに手が伸びて、SNSを見てしまう。(ちなみに実用書はそれほど労力が読むのにいらないので、kindleで買って、まだすらすら読んでいるほうだ)

noteのほかにも、私はtwitterとfacebookをやっていて、その三地点を永遠にぐるぐる回ってつい時間をつぶしてしまう。誰かがいつも新しいことを言っていて、数秒ごとに更新されていく、楽しい楽しいSNS。町中を見わたしても、電車の中でも、レストランでも、みんな待ち時間にはスマホを見ている、そんな光景が普通になった。

ちょっと労力のいる本を読むことに比べ、スマホを見ているのは圧倒的に楽だ。そんな自分を省みたり、SNSに夢中になっている若者から大人たちを最近見るにつけ「はたして、もっと未来になるにつれて、人は今より紙本で読書するようになっていくのだろうか。いや、どんどん紙の本に割く時間は少なくなるんじゃないか?」と思ってしまう。

私は、ここで「みんなもっと紙の本に帰ろうよ!」と言いたいわけじゃない。(まったく言いたくないわけでもないが。紙の本はいとおしいし、勉強をしなければならない気持ちは私にもちゃんとある)そうではなくて、それほど、みんなが「何を読むか・何で読むか」その媒体が、本からWEBに変わって来たんだな、とはっきりと思ってしまう。

ちょっとした時間つぶしに、WEBをのぞくと、すぐ「何か読みたい知りたい欲」がかんたんに充たされてしまう。他人のつぶやきを読んで、いいねやスキを押して、画面をスワイプしているうちに、どんどん時間がたつ。

紙の本の文化は消えてほしくない。私は本当にそう思っている。でも、これから、何の分野の学問にせよ、物語にせよ、あと10年もしたら、今よりずっと、その発表先はWEB上という形になっていくんじゃないだろうか。そして、全部難しい学術書でも最新の論文でもスマホで読めちゃうようになるんじゃないか。

こんなこと、私が言わなくても、誰だって予見しているよ、って言われるかもしれないけど、いち物書き志望としても、紙の本を出すことだけにこだわり続けてたら、足元が崩れてなくなってしまう気がする。

電子書籍には、リリースされ始めのころものすごく抵抗があった私だが、今では、すべての本が電子書籍で出版されないかしら、と思うくらいに、大好きになってしまった。まず、部屋が本でいっぱいにならないから家族に怒られない。配達を待たず、一瞬でダウンロードできる魅力もかなり大きい。絶版になった紙の本が、kindleで出てたりすると、本当に入手できた喜びで小躍りしたくなってしまう。

紙の本を愛する人も、もちろん残るだろうけれど、若い年代の人ほど、どんどん電子書籍に抵抗がなくなっていくと、私は予測する。だから、今から10年経ったら、みんなどんな風に物を書いているだろう、と思う。でも、どんな時代でも、作品を書きたい、って人は消えたりしないし、個人がネットで発言できるようになって、加速的にクリエイティブな人は増えていくと思う。

本を愛するものの一人として、この先の「物書き」のかたちやありかたが、どうなっていくのか。その道を示す新しい形のひとつが、noteなのだと思う。いつも読んでくださっている人たち、noteという場をつくり、支えてくれている人たち、本当にお世話になっています。

みんなで、作品制作を愛する人たちのこれからを、一緒につくっていけたらいいねと、私は心からそう思っている。

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